あしかがよしのり【足利義教】
[1394〜1441]室町幕府第6代将軍。在職1429〜1441。義満の子。初め義円と称し天台座主 (ざす) であったが、義持の死後、鬮 (くじ) で後継者に選ばれて還俗 (げんぞく) し、永享元年(1429)将軍となった。永享の乱で鎌倉公方 (くぼう) 足利持氏を滅ぼしたが、赤松満祐に殺された。→嘉吉 (かきつ) の乱
あしかがよしはる【足利義晴】
[1511〜1550]室町幕府第12代将軍。在職1522〜1547。義澄の子。細川高国に擁立され将軍となったが実権がなく、天文15年12月(1547年1月)、将軍職を子の義輝に譲った。
あしかがよしひさ【足利義尚】
[1465〜1489]室町幕府第9代将軍。在職1474〜1489。義政の子。母は日野富子。文明5年12月(1474年1月)将軍となる。叔父義視 (よしみ) との継嗣争いが応仁の乱の一因となった。近江の六角高頼の討伐中に病没した。
あしかがよしひで【足利義栄】
[1540〜1568]室町幕府第14代将軍。永禄11年(1568)三好氏に迎えられて将軍となったが、同年織田信長が義昭を立てて入京したので摂津に逃れ、病没。
あしかがよしまさ【足利義政】
[1436〜1490]室町幕府第8代将軍。在職1449〜1474。義教 (よしのり) の子。初め弟義視 (よしみ) を養子としたが、実子の義尚 (よしひさ) が生まれるとこれを将軍にしようとして応仁の乱の一因となった。芸術の愛好保護、銀閣の建立などにみられるこの時代の文化を東山文化とよぶ。東山殿。
あしかがよしみ【足利義視】
[1439〜1491]室町中期の武将。義教の子。義政の弟。兄の養子となって将軍後継者に擬せられたが、義尚 (よしひさ) が生まれてから継嗣争いが起こり、応仁の乱を誘発した。今出川殿。
あしかがよしみつ【足利義満】
[1358〜1408]室町幕府第3代将軍。在職1369〜1395。義詮 (よしあきら) の子。南北朝合一を果たし、明 (みん) と勘合貿易を開いて室町幕府の最盛期を現出した。能楽の保護、金閣の建立などにみられるこの時代の文化を北山文化とよぶ。北山殿。
あしかがよしもち【足利義持】
[1386〜1428]室町幕府第4代将軍。在職1395〜1423。義満の子。応永元年12月(1395年1月)9歳で将軍となる。父の死後、日明 (にちみん) 貿易を中止するなど独自の政策が目立った。
あしかがこうぎょうだいがく【足利工業大学】
足利大学の旧称。
あしかががっこういせきとしょかん【足利学校遺跡図書館】
栃木県の史跡足利学校敷地内にある図書館。明治36年(1903)設立。蔵書約3万2000冊。足利文庫から蔵書を引き継ぎ、管理している。