・・・次の刹那には、足取り行儀好く、巡査が二人広間に這入って来て、それが戸の、左右に番人のように立ち留まった。 次に出たのが本人である。 一同の視線がこの一人の上に集まった。 もしそこへ出たのが、当り前の人間でなくて、昔話にあるような・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ まだ船底を踏占めるような、重い足取りで、田畝添いの脛を左右へ、草摺れに、だぶだぶと大魚を揺って、「しいッ、」「やあ、」 しっ、しっ、しっ。 この血だらけの魚の現世の状に似ず、梅雨の日暮の森に掛って、青瑪瑙を畳んで高い、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 胸を反らして空模様を仰ぐ、豆売りのお婆の前を、内端な足取り、裳を細く、蛇目傘をやや前下りに、すらすらと撫肩の細いは……確に。 スーと傘をすぼめて、手洗鉢へ寄った時は、衣服の色が、美しく湛えた水に映るか、とこの欄干から遥かな心に見て・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・ ひょいと出た洒落に押し出されるような軽い足取りを弾ませて、兄弟を連れてはいると、豹吉は素早く店の中を見廻した。いない……すかされた想いに軽く足をすくわれて、ちょぼんと重く坐ると、「なんや、雪子はまだ来てないのか」 めずらしく寂・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・獣は所謂駭き心になって急に奔ったり、懼れの目を張って疑いの足取り遅くのそのそと歩いたりしながら、何ぞの場合には咬みつこうか、はたきつけようかと、恐ろしい緊張を顎骨や爪の根に漲らせることを忘れぬであろう。 応仁、文明、長享、延徳を歴て、今・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ジラフの奇妙な足取りはそれ自身にもおもしろいが、その背景の珍しい矮樹林によって始めてこの動物の全生命が見られる。驚いて川に飛び込む鰐は、その飛び込む前に安息している川岸の石原と茂みによって一段の腥気を添える。これがないくらいならわれわれは動・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・妙な足取りでよちよち歩いて来るそばを、駅員がその女の持ち物らしいバスケットをさげてすましてついて来た。改札口を出るとその駅員は、草津電鉄のほうを指さして何か教えているらしかった。女が行ってしまうとその駅員は、改札係と、居合わせた警官と三人で・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・しかし、男のほうはもちろん女のほうもすっかり板についた登山服姿であり、靴などもかなり時代のついた玄人のそれであり、またそれを踏みしめ踏みしめ登って行く足取りもことごとく本格的らしいので、あれは大丈夫だろうということになったのであった。われわ・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・赤子をおぶって、それをゆさぶるような足取りをして、麦の芽をふんでいる母親たちの姿が哀れに見えた。こうして日の暮れるまで働いておいて朝はもう二時ごろから起きて大根の車のあと押しをして市場へ出るのであろう。 市に近づくに従って空気の濁って来・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ちょうど鶴のような足取りで二歩三歩あるくと、立ち止まって首を下げて嘴で桟橋の床板をゴトンゴトンと音を立ててつっついている。そういう挙動を繰返しながら一直線に進んで行くのである。 私はその器械の仕掛けを不思議に思うよりも、器械の目的が何だ・・・ 寺田寅彦 「夢」
出典:青空文庫