・・・につづいて「聴きわけられぬ跫音」そのほか「崖の上」「白霧」「蘇芳の花」「苔」などという小題をもって。 当時日本にはもう初期の無産階級運動が盛であったし、無産階級の芸術運動もおこっていた。解放運動の全線にわたって、アナーキズムとコンムニズ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・ 彼は、指先に力を入れてジーッとベルを押した。 跫音がして扉が裏側にれんをはりつけて開いた、彼女は、今度も把手に左手をかけたまま、首だけさし延して主人の方を見た。 彼女の顔は期待で緊張していた。何か一言云われたら、時を移さず「は・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 猫の、いやに軟い跫音のない動作と、ニャーと小鼻に皺をよせるように赤い口を開いて鳴きよる様子が、陰性で、ぞっとするのである。 飼うのなら犬が慾しいと思ったのは、もう余程以前からのことだ。結婚後、散歩の道づれに困ることを知ってその心持・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・パタパタ忙しい草履の跫音。言葉はわからないが無遠慮な笑い声だけが廊下じゅうに高く反響して聞えている三四人の女たちの喋り声。例によって、九時ごろまでつづく騒々しいざわめきを聴きながら、どこやら落付かない心持でベッドの上に坐っている。いよいよ明・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・彼は跣で跫音はせず、令子の下駄だけがトンネルの中で反響を起した。やがて、出口からの光でぼんやり漁師の頭の輪廓が見えるようになった。 開いたところへ出ると、令子は飢えたように空を仰いだが、月は雲の裏にあった。薄明りが、草原と、令子と漁師の・・・ 宮本百合子 「黒い驢馬と白い山羊」
・・・ 五月十五日の夕方、三四度ドカドカと大勢して裏階子をかけ上る跫音が留置場まで聞えた。それきり何のこともない。 すると、次の朝、無銭飲食で二十日つけられている髪の毛ののびた雑役が、鉄扉の小さい切り戸から弁当を入れてくれながら、・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・赤旗と祝祭の飾りものの間に十数万の勤労者の跫音がとどろいた。インターナショナルの高い奏楽と、空から祝いをふりまきつつ分列する飛行機のうなりがモスクワ市をみたした。 夜一時近く赤い広場は煌々たるイルミネーションと人出だ。朝から夕方までおび・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・一昨年の秋、初めて『改造』へ発表した「聴き分けられぬ跫音」がその最初をなすもので、それからずっと近頃のものまで、連作の形をとっているのです。つまり、「崖の上」「白霧」「苔」と順々に発表してきましたが、此の秋『改造』へ載せるので、それも一落着・・・ 宮本百合子 「十年の思い出」
・・・ 文学へ新人の爽やかな跫音を、と求める気分は濃厚となって、新人推薦、発見の方法は幾多の賞を手引きとして講じられた。抑々日本の現代文学の世界で、こんなに幾種類もの賞の流行が、文化統制の気運とともに組織された文芸懇話会賞から始ったというのは・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・初めに君の来たときには、何んだか跫音が普通の客とどこか違っていたように思ったんだが。――」と梶は呟くように云った。「あ、あのときは、おれ、駅からお宅の玄関まで足数を計って来たのですよ。六百五十二歩。」栖方はすぐ答えた。 なるほど、彼・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫