・・・「大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害が踏切台となる者であります。伝える所では、ミケランジェロがモオゼの窮屈な姿を考え出したのは、大理石が不足したお蔭だと言います。アイスキュロスは、舞台上で同時に用い得る声の数が限られている事に依て、そこ・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・んでお目に掛けんと固く決意仕り、ひとり首肯してその夜の稽古は打止めに致し、帰途は鳴瀬医院に立寄って耳の診察を乞い、鼓膜は別に何ともなっていませんとの診断を得てほっと致し、さらに勇気百倍、阿佐ヶ谷の省線踏切の傍なる屋台店にずいとはいり申候。酒・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・ 峰の茶屋には白黒だんだらの棒を横たえた踏切のような関門がある。ここで関守の男が来て「通行税」を一円とって還り路の切符を渡す。二十余年の昔、ヴェスヴィアスに登った時にも火口丘の上り口で「税」をとられた。その時はこの税の意味を考えたが遂に・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・いくつとなく踏切番のいない鉄路を横切るのは不安である。突然路が右へ曲ると途方もない広い新道が村山瀦水池のある丘陵の南麓へ向けて一直線に走っている。無論参謀本部の五万分一地図にはないほど新しい道路である。道傍の畑で芋を掘上げている農夫に聞いて・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ 程近い踏切を過ぎる汽車の響がしてまたもとの静かさにかえる。妹等はもう何処らまで行ったかと思って手近い旅行案内を取り上げてみた。 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・日本にもあるような秋草が咲いていたり、踏切番の小屋に菊が咲いていたり、路傍のマリヤのみ堂に花が供えてあるのも見ました。シャモニの町へはいるころには、もう日が暮れかかって、まっかな夕日がブゾンの氷河の頂を染めた時は実にきれいでした。村の町には・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・とある踏切の所では煉瓦を積んだ荷馬車が木戸のあくのを待っていた。車の上の男は赤ら顔の肩幅の広い若者でのんきらしく煙管をくわえているのも絵になっていた。魚網を肩へかけ、布袋を下げた素人漁夫らしいのも見かけた。河畔の緑草の上で、紅白のあらい竪縞・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・三番と掛札した踏切を越えると桜木町で辻に交番所がある。帽子を取って恭しく子規の家を尋ねたが知らぬとの答故少々意外に思うて顔を見詰めた。するとこれが案外親切な巡査で戸籍簿のようなものを引っくり返して小首を傾けながら見ておったが後を見かえって内・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・こゝは稍静かなれど紅塵ようやく深く鉄道構内の煤煙風に迷うもうるさし。踏切を越えて通りかゝりし鉄道馬車にのる。乗客多くて坐る余地もなければ入口に凭れて倒れんとする事幾度。公園裏にて下り小路を入れば人の往来織るがごとく、壮士芝居あれば娘手踊あり・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・ 忽ち電車線路の踏切があって、それを越すと、車掌が、「劇場前」と呼ぶので、わたくしは燈火や彩旗の見える片方を見返ると、絵看板の間に向嶋劇場という金文字が輝いていて、これもやはり活動小屋であった。二、三人残っていた乗客はここで皆降りてしま・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
出典:青空文庫