・・・……… 男の夢を見た二三日後、お蓮は銭湯に行った帰りに、ふと「身上判断、玄象道人」と云う旗が、ある格子戸造りの家に出してあるのが眼に止まった。その旗は算木を染め出す代りに、赤い穴銭の形を描いた、余り見慣れない代物だった。が、お蓮はそこを・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・この人は酒だの遊芸だのにお蔵前の札差しの身上をすっかり費やしてしまったらしい。僕はこの「お師匠さん」の酒の上の悪かったのを覚えている。また小さい借家にいても、二、三坪の庭に植木屋を入れ、冬などは実を持った青木の下に枯れ松葉を敷かせたのを覚え・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・十五の年から茶屋酒の味をおぼえて、二十五の前厄には、金瓶大黒の若太夫と心中沙汰になった事もあると云うが、それから間もなく親ゆずりの玄米問屋の身上をすってしまい、器用貧乏と、持ったが病の酒癖とで、歌沢の師匠もやれば俳諧の点者もやると云う具合に・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・その償いの一端にさえ、あらゆる身上を煙にして、なお足りないくらいで、焼あとには灰らしい灰も残らなかった。 貧乏寺の一間を借りて、墓の影法師のように日を送る。―― 十日ばかり前である。 渠が寝られぬ短夜に……疲れて、寝忘れて遅く起・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・……小遣万端いずれも本家持の処、小判小粒で仕送るほどの身上でない。……両親がまだ達者で、爺さん、媼さんがあった、その媼さんが、刎橋を渡り、露地を抜けて、食べものを運ぶ例で、門へは一廻り面倒だと、裏の垣根から、「伊作、伊作」――店の都合で夜の・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・苫家、伏家に灯の影も漏れない夜はさこそ、朝々の煙も細くかの柳を手向けられた墓のごとき屋根の下には、子なき親、夫なき妻、乳のない嬰児、盲目の媼、継母、寄合身上で女ばかりで暮すなど、哀に果敢ない老若男女が、見る夢も覚めた思いも、大方この日が照る・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ 人の事は云われないが、連の男も、身体つきから様子、言語、肩の瘠せた処、色沢の悪いのなど、第一、屋財、家財、身上ありたけを詰込んだ、と自ら称える古革鞄の、象を胴切りにしたような格外の大さで、しかもぼやけた工合が、どう見ても神経衰弱という・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・岩淵の渡場手前に、姉の忰が、女房持で水呑百姓をいたしておりまして、しがない身上ではありまするけれど、気立の可い深切ものでございますから、私も当にはしないで心頼りと思うております。それへ久しぶりで不沙汰見舞に参りますと、狭い処へ一晩泊めてくれ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ が、それもその筈、あとで身上を聞くと、芸人だと言う。芸人も芸人、娘手品、と云うのであった。 思い懸けず、余り変ってはいたけれども、当人の女の名告るものを、怪しいの、疑わしいの、嘘言だ、と云った処で仕方がない。まさか、とは考えるが、・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・清さんはさもつまらなそうに人について仕事をしてるばかり、満蔵もおはまも清さんのお袋もなんだかおもしろくなかった。身上の事ばかり考えて、少しでもよけいに仕事をみんなにさせようとばかり腐心している兄夫婦は全く感情が別だ。みんながおもしろく仕事を・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
出典:青空文庫