・・・何、志はそれで済むからこの石の上へ置いたなり帰ろうと、降参に及ぶとね、犬猫が踏んでも、きれいなお精霊が身震いをするだろう。――とにかく、お寺まで、と云って、お京さん、今度は片褄をきりりと端折った。 こっちもその要心から、わざと夜になって・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 古い大きなひのきの木は身震いをしました。「いま、子供のいったことを聞いたか。」と、年とった大たかに向かっていいました。「人間は、すこしいい気になりすぎている! ちっと怖ろしいめにあわせてやれ。」と、たかは、怒りに燃えました。・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・ ちょうど、悪寒に襲われた患者のように、常磐木は、その黒い姿を暗の中で、しきりに身震いしていました。 A院長は、居間で、これから一杯やろうと思っていたのです。そこへはばかるような小さい跫音がして、取り次ぎの女中兼看護婦が入ってきて、・・・ 小川未明 「三月の空の下」
・・・この、少しの反抗力をも有しない彼等に対してすら、その執拗と根気に怖れをなしているので、考えただけで、身震いがしました。 こういうと、自分の行為に矛盾した話であるが、しばらく、利害の念からはなれて、害虫であろうと、なかろうと、それが有・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・寒い風は、悲しい歌をうたって雪の上を吹いて、木々のこずえは身震いをしました。永久に静かな北の国の野原には、ただ波の音が遠く聞こえてくるばかりでありました。 哀れな宝石商は、ついに凍えて死んでしまったのです。明くる朝、野のからすがその死骸・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・ 兵卒は、思わず、恐怖から身震いしながら二三歩うしろへ退いた。伍長が這い上って来る老人を、靴で穴の中へ蹴落した。「俺れゃ生きていたい!」 老人は純粋な憐れみを求めた。「くたばっちまえ!」 通訳の口から露西亜語がもれた。・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・私は私の生き方を生き抜く。身震いするほどに固く決意しました。私は、ひそかによき折を、うかがっていたのであります。いよいよ、お祭りの当日になりました。私たち師弟十三人は丘の上の古い料理屋の、薄暗い二階座敷を借りてお祭りの宴会を開くことにいたし・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・いま思い出しても身震いが出ます。女性のうちで、最もしいたげられ、悲惨な暮しをしていると言われているあのおいらんでさえ、私にとっては、実におそろしい、雷神以外のものではなかったのでした。 こんな工合に女から手ひどい一撃をくらった経験は・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・私は、それにきめてしまって、若い人たちの大胆さに、ひそかに舌を巻き、あの厳格な父に知れたら、どんなことになるだろう、と身震いするほどおそろしく、けれども、一通ずつ日附にしたがって読んでゆくにつれて、私まで、なんだか楽しく浮き浮きして来て、と・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・ 白山羊は、身震いするように体を動かし、後脚の蹄でトンと月光のこぼれて居る地面を蹴った。黒驢馬は令子の方へ向きかわって、順々に足を折り坐った。 気がつくと、其処とは反対の赤松の裏にも白山羊が出て居る。夜は十二時を過ぎた。 令子は・・・ 宮本百合子 「黒い驢馬と白い山羊」
出典:青空文庫