・・・眼隈を黒々ととり、鳥肌立って身震いしながら「いやだよ、うるさい」とすねていた女は、チョン、木が入ると急に、「御注進! 御注進!」と男の声を出し、薄い足の裏を蹴かえして舞台へ駈けて行った。 九時過、提燈の明りで椎の葉と吊橋を照し宿・・・ 宮本百合子 「山峡新春」
・・・―― 千鶴子が、身震いする程亢奮し涙をためて書きなぐった心持が紙に滲んでいた。はる子は心を打たれ、やや暫くその紙面を見つめていた。 それにしても一通り考えると、まるで見当違いなこの圭子に対する悪罵を、何故千鶴子は書かねばいられなかっ・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・生れては死に、死んでは生れる人間共が、太古の森も見えない程建て連ねて行く城や寺院、繁華な都市が、皆、俺のおもちゃに植えて行くと思うと、身震いがしたッけ。ミーダ 俺がこれまでに作った悪徳の環もあれが頂上だったかな。ヴィンダー ――兎に・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・ そして到頭隣りのリンゴをもぐ様な心持になって起き上って、廊下へ一歩出ると、あんまり真暗闇だったのと、これから取り掛ろうとする大冒険の緊張で、犬っころの様な身震いをした。 足の裏の千切れて仕舞いそうなのを堪えて探り足で廊下の曲り角ま・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・とささやいたならば、ささやかれた女性はその嘘に身震いするだろう。信実の愛はこう相談する「さて家事が一大事だね、どういう風にやれるだろう。」考え深い普通の声でこう相談が持ち出された時、そこには現実的な助力と生きた愛がある。二人が二人のこととし・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
・・・鎖を鳴しつつ、危い屋根の上で脚を踏みかえ、ブルブルと佗しさあまる身震いをする。 だから、私はいやだというのだ。犬の心が傘一重でふせぎ切れるものか。私の足の裏まで雨水づかりで、やり切れなくなったような心持がして来る。 主人はどういう人・・・ 宮本百合子 「吠える」
・・・ ――灰色の遠い空の下まで…… ボロン、ボロン、ギターの音の裡から、身震いするように悲しげなマンドリンの旋律が、安葡萄酒と石油ストウブの匂いとで暖められた狭い室内を流れた。 私はきのう窓から見た 一人の旅人・・・ 宮本百合子 「街」
・・・人々に身震いをさせたのはそれが異端の神であったゆえではなくして、それが美しかったからである。偶像は礼拝せらるべき神であった限りにおいて、当然パウロの排斥を受くべきであった。しかし美のゆえに礼拝せらるべき芸術品としては、確かにパウロから不当な・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・そうして身震いの出るような烈しい感動の内に、ただただその素朴な頭を下げたことであろう。しかもこの際彼らの意識に上る唯一のものは、三宝を尊奉するという漠然たる敬虔の念であったに相違ない。彼らの知っているのは、ただ新しく彼らに襲来した「仏教」が・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫