上 何小二は軍刀を抛り出すと、夢中で馬の頸にしがみついた。確かに頸を斬られたと思う――いや、これはしがみついた後で、そう思ったのかも知れない。ただ、何か頸へずんと音を立てて、はいったと思う――それと同・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・将軍は太い軍刀のつかに、手袋の両手を重ねたまま、厳然と舞台を睨んで居た。 幕引きの少尉は命令通り、呆気にとられた役者たちの前へ、倉皇とさっきの幕を引いた。同時に蓆敷の看客も、かすかなどよめきの声のほかは、ひっそりと静まり返ってしまった。・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・一人の将校が軍刀の柄に手をかけて、白樺の下をぐる/\歩いていた。口元の引きしまった、眼が怒っている若い男だ。兵卒達の顔には何かを期待する色が現れていた。将校は、穴や白樺や、兵卒の幾分輝かしい顔色を意識しつゝ、なお、それ等から離れて、ほかの形・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ その時、扉が軋って、拍車と、軍刀が鳴る音がした。皆は一時に口を噤んで、一人に眼をやった。顔を出したのは大隊副官と、綿入れの外套に毛の襟巻をした新聞特派員だった。「寒い満洲でも、兵タイは、こういう温い部屋に起居して居るんで……」・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・ 中隊長が軍刀をひっさげてやって来た。 七 遠足に疲れた生徒が、泉のほとりに群がって休息しているように、兵士が、全くだれてしまった態度で、雪の上に群がっていた。何か口論をしていた。「おい、あっちへやれ。」・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・中隊長は、軍刀のつばのところへ左手をやって、いかつい眼で、集って来る百姓達を睨めまわしていた。百姓達には少しも日本の兵タイを恐れるような様子が見えなかった。 通訳は、この村へパルチザンが逃げこんで来ただろう。それを知らぬかときいているら・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・その中にアメリカ兵と喧嘩をして、アメリカ兵を軍刀で斬りつけた勇士があった。 それは彼等をひどく喜ばした。砲兵の将校だった。 肩のさきをピストルでやられていたが、彼は、それよりさきに、大男のメリケン兵を三人ぶち斬っていた。 中尉は・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ 君はどういう意味か、紫の袋にはいった君の軍刀を僕にあずけて、走り去った。僕は、まごつきながらも、その軍刀を右手に持って君を待った。しばらくして君は、竹の皮に包まれたお弁当を二つかかえて現れ、「残念です。嗚呼、残念だ。時間が無いんで・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・こう云うとたんに、丁度美しい小娘がジュポンの裾を撮んで、ぬかるみを跨ごうとしているのを見附けた竜騎兵中尉は、左の手にを握っていた軍刀を高く持ち上げて、極めて熱心にその娘の足附きを見ていたが、跨いでしまったのを見届けて、長い脚を大股に踏んで、・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・石田は西の詰の間に這入って、床の間の前に往って、帽をそこに据えてある将校行李の上に置く。軍刀を床の間に横に置く。これを初て来た日に、お時婆あさんが床の壁に立て掛けて、叱られたのである。立てた物は倒れることがある。倒れれば刀が傷む。壁にも痍が・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫