・・・り出したあとのさびしい夜の灯の下であの雑誌を読み、せめてそこから日本軍の勝利を信じるきっかけをみつけ出そうとしていた日本の数十万の婦人たちは、なにも軍部の侵略計画に賛成していたからでもなければ、某誌の軍国調を讚美していたからでもないであろう・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・それは、日本のなかには、決してファシズムと軍国主義の思想が根だやしになっていないということです。 ポツダム宣言を受諾した表面上、日本の民主化は、政府が世界に向って義務づけられた仕事です。けれども、みなさまは、どうお思いになりますか? 日・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・正面から軍国主義の復活や侵略的な民族主義をたきつけることは出来ないから、民主主義者が提唱する人民的な民族主義に便乗して「日本を再建するために」云々と、民族自立の問題・主権在民の問題も――即ちポツダム宣言と新憲法の実質を左からぐるりと右へひと・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・衣、食、住、愛憎の問題だけを見ても、戦争中は、人間的な欲求の一切を抹殺した権力によって、そういうテーマは、すべて自然の文明的な主張をかくし、軍国主義への献身だけが強調された。小説にしろ、そうだった。大衆のこのみは、そこに追いこまれ、すべての・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・そして、軍部と軍国主義教育は前線で、日本人民がそれを自分たちの行為として承認することを不可能と感じるほどの惨虐が行われた。敵という関係におかれた他の国の人々に対して。また日本軍の兵士たちに対して。 一九四八年ごろから、日本におこっている・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・一九四六年、日本の民主化が良心的に課題とされたころ、軍国主義精神の日常化された姿であるとして、講道館は閉鎖された。こんにち講道館は大々的に復活し、プロ柔道とさえなっている。ジャーナリズムは、天皇もので企画の貧困をしのいだ。 ここに集めら・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・バイカル湖まではこちらで貰うというようなことがしらふで話されていた時期に、ソヴェト同盟は日本の軍国主義者にとっての侵略目標であった。そして世界平和と人民生活の安定のための社会主義建設に努力するソヴェト同盟の存在は「赤」の本場として憎悪の的と・・・ 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・役人が執筆させたいAの方には、通俗的また軍国的文筆家が大多数を占めていた。 軍事行動邁進の三年という年月に、ジャーナリストたちの自立も弱められた。新聞は、もう再度の文化暴圧にたいして、発言しなかった。進歩的な作家たちも、それについて・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
一九四五年の八月十五日からのち、日本の民主化がいわれるようになってから、いくつかの民主化のための委員会がつくられた。文化関係で、ラジオの民主化のための放送委員会、軍国主義の出版統制の遺風を民主化するための用紙割当委員会、出・・・ 宮本百合子 「「委員会」のうつりかわり」
・・・民主的な日本への転換がいいはじめられ、ブルジョア民主主義という言葉が、半封建的日本という表現とともに、常用語のために生れた。軍国主義の餌じきとされて来ていた日本人民の人間性・知性が重圧をとりのぞかれてむら立つように声をあげはじめたとき、自我・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
出典:青空文庫