・・・先生は、このごろある転機の上に立っていられたようだから。すべての偉大な人のように、五十歳を期として、さらに大踏歩を進められようとしていたから。○僕一身から言うと、ほかの人にどんな悪口を言われても先生にほめられれば、それで満足だった。同時・・・ 芥川竜之介 「校正後に」
・・・彼等がその何々主義者になったのには、何やら必ず一つの転機というものがある。そうしてその転機は、たいていドラマチックである。感激的である。 私にはそれが嘘のような気がしてならないのである。信じたいとあがいても、私の感覚が承知しないのである・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・ 何の転機で、そうなったろう。私は、生きなければならぬと思った。故郷の家の不幸が、私にその当然の力を与えたのか。長兄が代議士に当選して、その直後に選挙違犯で起訴された。私は、長兄の厳しい人格を畏敬している。周囲に悪い者がいたのに違いない・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・あの時にあの罪のない俚謡から流れ出た自由な明るい心持ちは三十年後の今日まで消えずに残っていて、行きづまりがちな私の心に有益な転機を与え、しゃちこ張りたがる気分にゆとりを与える。これはおそらく私の長い学校生活の間に受けた最もありがたい教えの中・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・画家の絵の転機はやはり永い間に自然に起って来るものがほんとうにその人に取って純真なものではないだろうか。毎年の展覧会に必ず変化を見せる必要はないかと思う。 ブラマンク張りの絵が沢山出ている。私は二科会で何故こういう明白な模造を陳列さ・・・ 寺田寅彦 「二科会その他」
・・・そういうわずかな事によって人々の仕事の能率が現在よりもいくらかでも高められ、そうして人々の心持ちの平安はいくらかでも増し、行き詰まった心持ちと知恵とはなんらかの新しい転機を見いだしはしないだろうか。 小説や風聞録のようないわゆる閑文・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・卒業はともかくも亮にとっても一つの一大転機であった。 この世の中で最劣等の人間のごとく自分を感じていた亮は、彼を教えていた教授がたの目には決してそうばかりとは見えなかった。ある先生などは特に彼の頭のいい事を確かに認めていたらしい。それで・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・もっともこのようなことは何も連句に限らず他の百般の事がらに通有ないわゆる「転機」の妙用に過ぎないので、われわれ人間の生涯の行路についても似よったことが言われるであろうが、そういう範疇の適切なる一例として見らるるという点に興味があるであろう。・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・そして、この一つの事実は、作者に日本文学に一つの重大な転機が来ていることを告げるのだった。すなわち、「伸子」に反映しているこの現象は、どんな権力も否定することのできない事実をもって、今日の人民的可能性の高まりと、生活意欲の覚醒とを語っている・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・であるとして観念的になってゆく存在が、一つの転機をもって、孤独なもの同士のクラブをつくって人間らしさをとりもどしてゆこうとする。村田という病む人物と妻美津子との切ない関係は「縫い音」と対蹠する。村田の生きようとしてすさまじくなった心理も描か・・・ 宮本百合子 「『健康会議』創作選評」
出典:青空文庫