・・・「私も可哀そうでならなかったけエど、つまり私の傍に居た処が苦しいばかりだし、又た結局あの人も暫時は辛い目に遇て生育つのですから今時分から他人の間に出るのも宜かろうと思って、心を鬼にして出してやりました、辛抱が出来ればいいがと思って、……・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・たっていけないということは、お前の母様の談でよく解っているから、そんな事は思ってはいないけれど、余り家に居て食い潰し食い潰しって云われるのが口惜いから、叔父さんにあ済まないけれどどこへでも出て、どんな辛い思いをしても辛棒をして、すこしでもい・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・汝が未来に持っている果報の邪魔はおれはしねえ、辛いと汝ががおもうなら辛いつきあいはさせたくねえから。とさすが快活な男も少し鼻声になりながらなお酔に紛らして勢よく云う。味わえば情も薄からぬ言葉なり。女は物も云わず、修行を積んだものか泣きも・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・父が預かる株式会社に通い給金なり余禄なりなかなかの収入ありしもことごとくこのあたりの溝へ放棄り経綸と申すが多寡が糸扁いずれ天下は綱渡りのことまるまる遊んだところが杖突いて百年と昼も夜ものアジをやり甘い辛いがだんだん分ればおのずから灰汁もぬけ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・と自分は学生生活もしたらしい男の手を眺めて、「僕も君等の時代には、随分困ったことがある――そりゃあもう、辛い目に出遇ったことがある。丁度君が今日の境遇を僕も通り越して来たものさ。さもなければ、君、誰がこんな忠告なぞするものか、実際君の苦しい・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・若し皆が、彼女のことをすっかり忘れ切って仕舞っても、スバーは、ちっとも其を辛いとは思わなかったでしょう。 けれども、誰が心労を忘れることが出来ましょう? 夜も昼も、スバーの両親の心は彼女の為に痛んでいるのでした。 わけても、母親は彼・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・こんな辛い時勢に生れて、などと悔やむ気がない。かえって、こういう世に生れて生甲斐をさえ感ぜられる。こういう世に生れて、よかった、と思う。ああ、誰かと、うんと戦争の話をしたい。やりましたわね、いよいよはじまったのねえ、なんて。 ラジオは、・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・今の世智辛い世の中に、こんな広大な「何の役にも立たない」地面の空白を見るだけでも心持がのびのびするのである。こんなところで天幕生活をしたらさぞ愉快であろうといったら、運転手が、しかし水が一滴もありませんという。金のある人は、寝台や台所のつい・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・は多くこの種の映画と同じように甘いと辛いとの中間を行っている。それだけに肩も凝らないがまたどっちもつかずで物足りない気もする。 汽車の中で揺られている俘虜の群の紹介から、その汽車が停車場へ着くまでの音楽と画像との二重奏がなかなくうまく出・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・自分の辛いよりか、朝から三時過ぎまでお粥も啜らずに待っている嬶や子供が案じられてなんねえ。」「兵隊にいっていた息子さんは、幾歳で亡くしましたね。」上さんは高い声で訊いた。「忰ですかね。」爺さんは調子を少し落して俛いた。「二十・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫