・・・右の肩で、テーブルをおすようにして、ひどい近眼らしく、ふちなしの眼鏡で天井をあおのきながら、つっかかってくる。ところどころ感動して手をたたこうと思っても、その暇がない。――われわれ労働者前衛は――というとき、歯ぎしりするようにドンドンとテェ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ だんだん近付いて見ると、一人のせいの高い、ひどい近眼鏡をかけ、長靴をはいた学者らしい人が、手帳に何かせわしそうに書きつけながら、鶴嘴をふりあげたり、スコープをつかったりしている、三人の助手らしい人たちに夢中でいろいろ指図をしていました・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・大学士は大きな近眼鏡をちょっと直してにやにや笑い小屋へ入って行ったのだ。土間には四つの石かけが炉の役目をしその横には榾もいくらか積んである。大学士はマッチをすって火をたき、それからビスケットを出しもそもそ・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・そして大きな近眼鏡をかけその向うの眼はまるで黄金いろでした。じっと私を見つめました。それから急いで云いました。「ようこそいらっしゃいました。さあさあ、どうぞお入り下さい。運動場で生徒が大へん失礼なことをしましたそうで。さあさあ、どうぞお・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・社会主義的リアリズムは、度のくるった近眼鏡のように一定の距離をもって遠くにあるものを目まいのするほど近づけて見せる方法でもないであろうし、魔女の箒のように、一定の観念にまたがって、歴史の現実をとび越すすべを奨励するものでもないはずである。社・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・あなたはこの手紙をおよみになる迄気がおつきにならないでしょうね。あのところで、私たちには眼鏡のことまでを話しているひまがないもの。あなたは近眼におなりになりませんか。大切にして下さい。無理をなさらないように。スエ子も眼鏡をもっています。これ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・私が大きな楡の樹蔭の三階で、段々近眼に成りながら、緩々と物を書き溜めて居るうちに、自然は確実な流転を続けて居ります。今も恐るべき単調さで降りしきって居る雨が晴れたら、地上はきっともう秋に成って居りますでしょう、雨が好きな私も、毎日毎日同じ水・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・けれども、その愛が不純であり、無智であり、近眼であったからこそ、こういう失敗は来たされた。それは否定出来ない。「それなら、ほんとの愛情、ほんとの愛情に到達する段階は何か」 第一頁に書かれた、その文句と向い合いながら、彼女は、・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・目の先ばかり見える近眼どもを相手にするな。そこでその死なぬはずのおれが死んだら、お許しのなかったおれの子じゃというて、おぬしたちを侮るものもあろう。おれの子に生まれたのは運じゃ。しょうことがない。恥を受けるときは一しょに受けい。兄弟喧嘩をす・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫