このえあつまろ【近衛篤麿】
[1863〜1904]政治家。京都の生まれ。日清同盟を唱えて東亜同文会・国民同盟会を組織。また、対露同志会を結成して対露強硬政策を主張。学習院院長・貴族院議長・枢密顧問官を歴任。
このえいえひろ【近衛家熙】
[1667〜1736]江戸中期の公卿。摂政・関白・太政大臣を歴任、准三后。出家して予楽院と号した。書は当代一流と称された。
このえさきひさ【近衛前久】
[1536〜1612]安土桃山時代の公卿。幼名、晴嗣、のち前嗣。法名、竜山。歌道・書道・暦学・有職故実などにすぐれ、文化の地方への普及に貢献した。
このえしだん【近衛師団】
宮城の守護および儀仗 (ぎじょう) を任務とした旧日本陸軍の師団。明治4年(1871)に創設された御親兵を翌年近衛兵と改称、同21年に近衛師団となった。
このえせいめい【近衛声明】
昭和13年(1938)日中戦争処理に関し、第一次近衛文麿内閣が発した一連の対中国政策の声明。1月、国民政府との交渉打ち切りを告げ(第一次)、11月これを緩和修正(第二次)、12月には善隣友好・共同防共・経済提携の近衛三原則をうたった(第三次)。
このえづかさ【近衛府】
1 「このえふ」に同じ。「—にてこの君の出で給へるに」〈枕・一二〉 2 近衛府の官人。「—、いとつきづきしき姿して、御輿 (みこし) のことども行ふ」〈紫式部日記〉
このえのだいしょう【近衛大将】
近衛府の長官。
このえのちゅうじょう【近衛中将】
近衛府の次官。
このえのつかさ【近衛府】
「このえふ」に同じ。「—いとつきづきしき姿して、ことども行ふ」〈栄花・初花〉
このえのとねり【近衛舎人】
近衛府の下級職員。宮中の警護、天皇・皇族・大臣らの近侍などを務めた。近衛。