・・・道太の姉や従姉妹や姪や、そんな人たちが、次ぎ次ぎににK市から来て、山へ登ってきていたが、部屋が暑苦しいのと、事務所の人たちに迷惑をかけるのを恐れて、彼はK市で少しほっとしようと思って降りてきた。「何しろ七月はばかに忙しい月で、すっかり頭・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・それらの事は友人にでも託すればよいという人もあろうが、一生還って来ないつもりで出掛けるのに迷惑と面倒とを人にかけるのは心やましいわけである。出発の間際に起る繁雑な事情とその予想とがいつも実行を妨げてしまうのであった。人間も渡鳥のように、時節・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・太十は落胆した。迷惑したのは家族のものであった。太十は独でぶつぶついって当り散した。村の者の目にも悄然たる彼の姿は映った。悪戯好のものは太十の意を迎えるようにして共に悲んだ容子を見てやった。太十は泣き相になる。それでもお石の噂をされることが・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・飛んだ預言者に捕まって、大迷惑だ」「移るのもいいかも知れんよ」「馬鹿あ言ってら、この間越したばかりだね。そんなにたびたび引越しをしたら身代限をするばかりだ」「しかし病人は大丈夫かい」「君まで妙な事を言うぜ。少々伝通院の坊主に・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・此セメントを使った月日と、それから委しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。 松戸与三は、湧きかえるような、子供たちの騒ぎを身の・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・それで、其兵士の顔には、他の人への羞しい様な色が溢れて、妹さんを見据えてお居での眼は、何様に迷惑そうに見られたでしょう。『もう可いから、彼方へ御行で……お前の云った事は、既う充分解ってる。其処を退いたら可いだろう。邪魔だよ、何時までも一・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・本義などという者は到底面白きものならねば読むお方にも退屈なれば書く主人にも迷惑千万、結句ない方がましかも知らねど、是も事の順序なれば全く省く訳にもゆかず。因て成るべく端折って記せば暫時の御辛抱を願うになん。 凡そ形あれば茲に意あ・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・六尺の深さならまだしもであるが、友達が親切にも九尺でなければならぬというので、九尺に掘って呉れたのはいい迷惑だ。九尺の土の重さを受けておるというのは甚だ苦しいわけだから此上に大きな石塔なんどを据えられては堪まらぬ。石塔は無しにしてくれとかね・・・ 正岡子規 「死後」
・・・はっはっは、いや迷惑したよ。それから英国ばかりじゃない、十二月ころ兵営へ行ってみると、おい、あかりをけしてこいと上等兵殿に云われて新兵が電燈をふっふっと吹いて消そうとしているのが毎年五人や六人はある。おれの兵隊にはそんなものは一人もないから・・・ 宮沢賢治 「月夜のでんしんばしら」
・・・作家としての生活権を奪われることは迷惑であることを話した。かりに、役人である人が、突然、無警告にクビになって、その朝から困らないだろうか。事情はまったくおなじであると、話した。課長は、けっして、生活権を奪おうなどと思ってしたことではないこと・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
出典:青空文庫