・・・ こういって、賢一は、まことに危険だった当時を追想しました。「君がきてくれて、私は、いい協力者ができたと思っている。人は、たくさんあっても、信用のおける人というものは、存外少ないものだ。」と、いって、主人は賢一をはげましてくれました・・・ 小川未明 「空晴れて」
・・・スワはそんな苔を眺めるごとに、たった一人のともだちのことを追想した。蕈のいっぱいつまった籠の上へ青い苔をふりまいて、小屋へ持って帰るのが好きであった。 父親は炭でも蕈でもそれがいい値で売れると、きまって酒くさいいきをしてかえった。たまに・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・私のこれまでの生涯を追想して、幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期は、私が三十歳の時、いまの女房を井伏さんの媒酌でもらって、甲府市の郊外に一箇月六円五十銭の家賃の、最小の家を借りて住み、二百円ばかりの印税を貯金して誰とも逢わず、午後の四時頃・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・と云って不思議な笑いを見せられたことを追想するとそこにまた色々な面白い暗示が得られるようである。 S先生が生きてさえおられれば、もう一遍よく御尋ねして確かめる事が出来るのであるが残念なことには数年前に亡くなられたので、もうどうにも取返し・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
子供の時代から現在までに自分等の受けた科学教育というものの全体を引くるめて追想してみた時に、そのうちの如何なるものが現在の自分等の中に最も多く生き残って最も強く活きて働いているかと考えてみると、それは教科書や講義のノートの・・・ 寺田寅彦 「雑感」
・・・久しく嗅がなかった匂であったために、今このアイスクリームの匂の刺戟によって飛び出した追想の矢が一と飛びに三十年前へ飛び越したのかもしれない。 不思議なことに、この一杯のアイスクリームの香味はその時の自分には何かしら清新にして予言的なもの・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・たとえばまた、銀座松屋の南入り口をはいるといつでも感じられるある不思議なにおいは、どういうものか先年アンナ・パヴロワの舞踊を見に行ったその一夕の帝劇の観客席の一隅に自分の追想を誘うのである。 郷里の家に「ゴムの木」と称する灌木が一株あっ・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ 幼時を追想する時には必ず想い出す重兵衛さんの一族の人々が、自分の内部生活に及ぼした影響と云ったようなことは、近頃までついぞ一度も考えてみたことはなかったのである。この頃になって、自分に親しかった、そうして自分の生涯に決定的な影響を及ぼ・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・それに対して自分は艶かしい意味においてしん橋の名を思出す時には、いつも明治の初年返咲きした第二の江戸を追想せねばならぬ。無論、実際よりもなお麗しくなお立派なものにして憬慕するのである。 現代の日本ほど時間の早く経過する国が世界中にあ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・竜泉寺町 日本堤を行き尽して浄閑寺に至るあたりの風景は、三、四十年後の今日、これを追想すると、恍として前世を悟る思いがある。堤の上は大門近くとはちがって、小屋掛けの飲食店もなく、車夫もいず、人通りもなく、榎か何かの大木が立っていて、その・・・ 永井荷風 「里の今昔」
出典:青空文庫