・・・クリストは、兵卒たちに追い立てられて、すでに五六歩彼の戸口を離れている。ヨセフは、茫然として、ややともすると群集にまぎれようとする御主の紫の衣を見送った。そうして、それと共に、云いようのない後悔の念が、心の底から動いて来るのを意識した。しか・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・捲き上げようとして這入り込みながら散々手を焼いて駅亭から追い立てられているような事もいった。「お前も一番乗って儲かれや」とその中の一人は仁右衛門をけしかけた。店の中はどんよりと暗く湿っていた。仁右衛門は暗い顔をして唾をはき捨てながら・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・蒔いたり植え替えたり縄を張ったり油粕までやって世話した甲斐もなく、一向に時が来ても葉や蔓ばかし馬鹿延びに延びて花の咲かない朝顔を余程皮肉な馬鹿者のようにも、またこれほど手入れしたその花の一つも見れずに追い立てられて行く自分の方が一層の惨めな・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 小川を渡って、乾草の堆積のかげから、三人の憲兵に追い立てられて、老人がぼつ/\やって来た。頭を垂れ、沈んで、元気がなかった。それは、憲兵隊の営倉に入れられていた鮮人だった。「や、来た、来た。」 丘の病院から、看護卒が四五人、営・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・その只の長屋も、家に働く者がなくなれば追い立てをくうのだ。 市三は、どれだけ、うら/\と太陽が照っている坑外で寝ころんだり、はねまわったりしたいと思ったかしれない。金を出さずに只でいくらでも得られる太陽の光さえ、彼は、滅多に見たことがな・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・「なにも追い立てをくってるわけじゃないんだから――ここにいたって、いられないことはないんだから。」 こう次郎も兄さんらしいところを見せた。 やがて自分らの移って行く日が来るとしたら、どんな知らない人たちがこの家に移り住むことか。・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・作家同盟なんぞへ入って、柄にもない部署につかされ、追い立てられているから、才能をついにドブにすてた」と。だが、自分をそれらの言葉で苦しめ、傷けることは全く不可能であった。なぜならば、ブルジョア・インテリゲンチア作家としての発展の必然としてプ・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・そのためにばっかり生きて、ごたごた仕事に追い立てられていた。ところが今ではこういうようになって来た。……私と暮す――それもいい。私と暮さない……それがどう? 私には自分の道がある。すべて元通りに? いいえ、タワーリシチ、ミートシカ! 川は逆・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ 作者が、私の想像するように、早苗を真心から愛したく思っていたのに、彼の性格的な運命から事は悉く失敗し、最後に彼を捕えたのは、愛でもなく、沈思でもなく、何処までも彼を追い立てて行く武将の野心であったとするならば、最後の一句は、決して、其・・・ 宮本百合子 「印象」
民主日本の出発ということがいわれてから一年が経過した。日本の旧い支配者たちがポツダム宣言を受諾しなければならなくなって、日本の民衆はこれまでの時々刻々、追い立てられていた不安な戦争の脅威から解放された。戦争が不条理に拡げら・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
出典:青空文庫