・・・歴史文学というにしろ、ただ髷物であれば歴史文学であるという考えかたに反対し、同時に、今日の現実にとり組んで行きにくいからと逃避の方向で歴史の中に素材の求められる態度も、正しい歴史文学への理解でないとするのが、高木卓氏などの見解に代表されてい・・・ 宮本百合子 「歴史と文学」
・・・は、十九世紀のロマン主義時代に生れたフランスの婦人作家が、女にとって苦しい結婚生活と宗教との負担に、情緒的に反抗しつつその解決は作品の中でだけ可能な夢幻境へ逃避の形でまとめているのは注目にあたいする。バルザックの「従妹ベット」「ウウジニイ・・・・ 宮本百合子 「若い婦人のための書棚」
・・・生活から逃避することで、それらは得られない時代だと思う。雄々しく現実の複雑さいっぱいを、自分としての生活の建て前で判断し、整理し、働きかける筋をつかみ、そこから湧く生活の弾力ある艶が、若い女の明日の新しい美ともなるのだろう。 今日の若い・・・ 宮本百合子 「若い娘の倫理」
・・・私はいくらあせってもこの問題を逃避しない限りある「時」が来るまでは自分をどうすることもできないのです。私もまさかこのジメジメした気分を側の者に振りかけなければいられないほど弱くはありません。しかし人の前でそれを少しも顔に出さないでいられるほ・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・これらの仏画を眼中に置いて現在の日本画を見れば、その弱さと薄さ、その現実を逃避する卑怯な態度などにおいて、明らかに絵の具の罪よりも画家の罪が認められるのである。色彩のみならず線の引き方においても、リズムの貧弱な、ノッペリとした現在の線は、絵・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・あるいはまた怯懦な知識階級の特色としての現実逃避であるとも見られるであろう。しかしこれらの観照は「悠々たる」観の世界を持つものとは言えない。人が悠々として観る態度を取り得るのは、人間の争いに驚かない不死身な強さを持つからである。著者はシナの・・・ 和辻哲郎 「『青丘雑記』を読む」
・・・――私は自己の内のある者を滅ぼすのが直ちに自己を逃避することになるとは思わない。私は自分の上に降りかかってくるように感じられる運命に対しては、それがいかに苦しいことであっても、勇ましく堪え忍び、それによって自己を培う。しかし事が自分の自由の・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
・・・などと現在のある境遇に反撥心を抱くことは、現実の生に対するふまじめであり、また現実からの逃避である。そこにはもはや自己の改造や成長の望みはない。我々はただ現在の運命を如実に見きわめることによって、多産なる未来の道をきり開く事ができる。時には・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
・・・ 超脱の要求は現実よりの逃避ではなくて現実の征服を目ざしている。現実の外に夢を築こうとするのではなくて現実の底に徹する力強いたじろがない態度を獲得しようとするのである。先生の人格が昇って行く道はここにあった。公正の情熱によって「私」を去・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
・・・ 病苦は号泣や哀訴によってごまかすことはできても、全然逃避し得る性質のものでない。しかし精神的な生の悩みは、露出させる事によってごまかし得るほかに、また全然逃避することもできるのである。 ある内的必然によって意志を緊張させた場合を想・・・ 和辻哲郎 「ベエトォフェンの面」
出典:青空文庫