・・・人間に襲いかゝろうと試みて、弾丸に倒されると、そのあとから、また、別の犬が、屍を踏み越えて、物凄く突撃してくるのだった。彼等は、勝つことが出来ない強力な敵に遭遇したような緊張を覚えずにはいられなかった。 犬と人間との入り乱れた真剣な戦闘・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・白い鋸屑が落葉の上に散って、樹は気持よく伐り倒されて行く。樹の倒れる音響に驚いて小鳥がけたたましく囀って飛びまわる。……山仕事の方がどれだけ面白いかしれない……「チェッ…………どうなりゃ!」 古江は、きらりとすごい眼つきをした。京一・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・それは母親の気をテン倒させるに充分だった。しかもその中で、あの親孝行ものゝ健吉が「赤い」着物をきて、高い小さい鉄棒のはまった窓を見上げているのかと思うと、急に何かゞ胸にきた。――母親は貧血を起していた。「ま、ま、何んてこの塀! とッても・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・彼は又、生きた蛙を捕えて、皮を剥ぎ、逆さに棒に差し、蛙の肉の一片に紙を添えて餌をさがしに来る蜂に与え、そんなことをして蜂の巣の在所を知ったことを思出した。彼は都会の人の知らない蜂の子のようなものを好んで食ったばかりでなく、田圃側に葉を垂れて・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・しかし、そのうちにふと顔を上げて見ますと、自分の頭の真上には、鋭く尖った大きな刀が、一本の馬の尾の毛筋で真っ逆さに釣り下げられていたので、びっくりして青くなりました。これはディオニシアスが、おれの境遇は丁度この通りだということを見せてやろう・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・日本にも、それら大家への熱愛者が五万といるのであるから、私が、その作品を下手にいじくりまわしたならば、たちまち殴り倒されてしまうであろう。めったなことは言われぬ。それが HERBERT さんだったら、かえって私が、埋もれた天才を掘り出したな・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・の字を倒さにしたような形で、二つの並行した山脈地帯を低い平野が紐で細く結んでいるような状態なのである。大きいほうの山脈地帯は、れいの雲煙模糊の大陸なのである。さきの沈黙の島は、小さいほうの山脈地帯なのである。平野は、低いから全く望見できなか・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・なんだか年を逆さに取ったような心持がしている。おれは「巴里へ行く汽車は何時に出るか」と問うてみた。 停車場へ出掛けた。首尾よく不喫烟室に乗り込むまではよかったが、おれはそこで捕縛せられた。 おれは五時間の予審を受けた。何もかも白状し・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ 自分も小学生時代に学校の玄関のたたきの上で相撲をとって床の上に仰向けに倒され、後頭部をひどく打ったことがある。それから急いで池の岸へ駆けて行って、頭へじゃぶじゃぶ水をかけたまでは覚えていたが、それからあとしばらくの間の記憶が全然空白に・・・ 寺田寅彦 「鎖骨」
・・・自分なども一度学校の玄関の土間のたたきに投げ倒されて後頭部を打って危うく脳震盪を起こしかけたことがあった。三 高等小学校時代の同窓に「緋縅」というあだ名をもった偉大な体躯の怪童がいた。今なら「甲状腺」などという異名がつけられ・・・ 寺田寅彦 「相撲」
出典:青空文庫