・・・今この男女を接触せしめると、恋愛の伝わるのも伝熱のように、より逆上した男からより逆上していない女へ、両者の恋愛の等しくなるまで、ずっと移動をつづけるはずだろう。長谷川君の場合などは正にそうだね。……」「そおら、はじまった。」 長谷川・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・――近習の者は、皆この鬢をむしるのを、彼の逆上した索引にした。そう云う時には、互に警め合って、誰も彼の側へ近づくものがない。 発狂――こう云う怖れは、修理自身にもあった。周囲が、それを感じていたのは云うまでもない。修理は勿論、この周囲の・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・しかしまたこッそり乳くり合っているのかも知れないと思えば、急に僕の血は逆上して、あたまが燃え出すように熱して来た。 僕は、数丈のうわばみがぺろぺろ赤い舌を出し、この家のうちを狙って巻きつくかのような思いをもって、裏手へまわった。 裏・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・、さんざ他人の攻撃をして来た自分が、こんどは他人より手ひどく攻撃されるという、廻合せの皮肉さに、すこしは苦笑する余裕があっても良かりそうなものだのに、お前はそんな余裕は耳掻きですくう程も無く、すっかり逆上してしまって、自身まで出向いて、市中・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ と、思ってみたり、また、「こいつ、娘の成功に逆上して、可哀相に気が変になってしまったのか」 と、考えてもみたが、結局は、何が何だかさっぱり訳が判らなかった。 ただ、はっきり判ったことは、何だか腹の立つ男だということであった・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・何やかやで、蝶子は逆上した。部屋のガラス障子に盞を投げた。芸者達はこそこそと逃げ帰った。が、間もなく蝶子は先刻の芸者達を名指しで呼んだ。自分ももと芸者であったからには、不粋なことで人気商売の芸者にケチをつけたくないと、そんな思いやりとも虚栄・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・今度は三十ばかしの野郎よ、野郎じゃアねッからお話になんねエ、十七、八の新造と来なきゃア、そうよそろそろ暑くなるから逆上せるかもしんねエ。』と大きな声で言うのは『踏切の八百屋』である。『そうよ懐が寒くなると血がみんな頭へ上って、それで気が・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・そして徐々逆上気味になって来た。「もしか知れたらどうする」。「知れるものかあの旦那は性質が良いもの」。「性質の良いは当にならない」。「性質の善良のは魯鈍だ」。と促急込んで独問答をしていたが「魯鈍だ、魯鈍だ、大魯鈍だ」と思わず又叫んで「フ・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ば上げ下げならぬ大吉が二挺三味線つれてその節優遇の意を昭らかにせられたり おしゅんは伝兵衛おさんは茂兵衛小春は俊雄と相場が極まれば望みのごとく浮名は広まり逢うだけが命の四畳半に差向いの置炬燵トント逆上まするとからかわれてそのころは嬉しく・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・二十年間、一日もあなたの事を忘れず、あなたの文章は一つも余さず読んで、いつもあなた一人を目標にして努力してまいりましたが、一夜の興奮から、とうとう手紙を差し上げ、それからはまるで逆上したように遮二無二あなたに飛び附いて、叱られ、たたかれても・・・ 太宰治 「風の便り」
出典:青空文庫