・・・全身の血が逆流したといっても誇張でない。あれだ! あの一件だ。「身のたけ一丈、頭の幅は三尺、――」木戸番は叫びつづける。私の血はさらに逆流し荒れ狂う。あれだ! たしかに、あれだ。伯耆国淀江村。まちがいない。この絵看板の沼は、あの「いかぬ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・しかし真に不思議なのはフィルムの逆行による時の流れの逆流である。たとえば燃え尽くした残骸の白い灰から火が燃え出る、そうしてその火炎がだんだんに白紙や布切れに変わって行ったりする。あるいはまた、粉々にくずれた煉瓦の堆積からむくむくと立派な建築・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・午ごろ目黒行人坂大円寺から起こった火事はおりからの南西風に乗じて芝桜田から今の丸の内を焼いて神田下谷浅草と焼けつづけ、とうとう千住までも焼け抜けて、なおその火の支流は本郷から巣鴨にも延長し、また一方の逆流は今の日本橋区の目抜きの場所を曠野に・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・と同時に腹ん中の一切の道具が咽喉へ向って逆流するような感じに捕われた。然し、 然し今はもう総てが目の前にあるのだ。 そこには全く残酷な画が描かれてあった。 ビール箱の蓋の蔭には、二十二三位の若い婦人が、全身を全裸のまま仰向きに横・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・木の切れっ端や、古俵などが潮に乗って海から川の方へ逆流して行った。 セコンドメイトは、私と並んで、私が何を眺めているか検査でもするように、私の視線を追っかけていた。 私は左の股に手をやって、傷から来た淋巴腺の腫れをそうっと撫でた。ま・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・ 日本の文学は世界の激しい前進を、より多く逆流としてうけて、最近の五年間、いわば年ごとに、タコツボに向って、おしころがされて来た。一九四五年八月十五日から後の、いく年間か文学上に発言のなかった今日出海によって、実名小説流行のいとぐちが開・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・これらの作品の題材の特異性、特異性を活かすにふさわしい陰影の濃い粘りづよい執拗な筆致等は、主人公の良心の表現においても、当時の文壇的風潮をなしていた行為性、逆流の中に突立つ身構えへの憧憬、ニイチェ的な孤高、心理追求、ドストイェフスキー的なる・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・現代は大小の文学的才能が、自身の才能の自意識であらぬ方にそれぬためには、よそめに分らぬ程野暮な、根気づよい逆流への抵抗が必要なのである。しかも、本質における逆流は時に称讚、拍手、とりまきの形で作家の身辺にあらわれる時代においておやである。〔・・・ 宮本百合子 「数言の補足」
・・・ 同志小林の克己と努力とは遂にその逆流を克服した。プロレタリアートの党派性は勝利し、闘争の成果の一部は、最近作家同盟常任中央委員会が「右翼的偏向との闘争に関する決議」を発表するに至った事実にも認め得るのである。 同志小林は確固たる国・・・ 宮本百合子 「同志小林の業績の評価に寄せて」
・・・この小説で作者の語ろうとするテーマは、朝田医院主及びそれをとりまく一群の現代的腐敗、堕落を逆流として身にうける志摩の技術的知識人の人間的良心、能動性の発展の過程に在ることは明らかである。単なる事件、人事関係、デカダンスの錯綜追跡の探偵もの風・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫