・・・美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。 二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらから・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・圧しつけるような暗い建築の陰影、裸の並樹、疎らな街燈の透視図。――その遠くの交叉路には時どき過ぎる水族館のような電車。風景はにわかに統制を失った。そのなかで彼は激しい滅形を感じた。 穉い堯は捕鼠器に入った鼠を川に漬けに行った。透明な水の・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・私の夜空を眺めるとき、あの空に散りばめた星と星との背後に透視画的の運命のつながりがあり、それが私たち地上の別れた哀れな人間たちの運命の絆を象徴しているのではあるまいかというようなことも思い浮かべられるのである。別るるや夢一とすぢの天・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・それらのかなりに不規則な平面的分布が、透視法という原理に統一されて、そこに美しい幾何学的の整合を示している。これらの色を一つ取りかえても、線を一つ引き違えても、もうだめだという気がする。 十歳ぐらいの男の子が二人来て後ろのほうで見ていた・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・遠方の山などは二十万分一でことごとく名前がわかり、付近の地形は五万分一と車窓を流れる透視図と見比べてかなりに正確で詳細な心像が得られる。しかしもし地形図なしで、これだけの概念を得ようとしたら、おそらく一生を放浪の旅に消耗しなければなるまい。・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・たとえば千里眼透視術などをやる人でも、影にかくれた助手の存在を忘れて、ほんとうに自分が奇蹟を行なっているような気のする瞬間があリ、それが高じると、自分ひとりでもそれができるような気になる瞬間もありうるものらしい。幾年もつづけてジグスとマギー・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・人生社会の真相を透視する道も亦同情の外はない。観察の公平無私ならんことを希うのあまり、強いて冷静の態度を把持することは、却て臆断の過に陥りやすい。僕等は宗教家でもなければ道徳家でもない。人物を看るに当って必しも善悪邪正の判決を求めるものでは・・・ 永井荷風 「申訳」
書物に於ける装幀の趣味は、絵画に於ける額縁や表装と同じく、一つの明白な芸術の「続き」ではないか。彼の画面に対して、あんなにも透視的の奥行きをあたへたり、適度の明暗を反映させたり、よつて以てそれを空間から切りぬき、一つの落付・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・ D・H・ローレンスは、彼を知っているすべての人が語っているとおり、特別柔軟で透視的な感情の持主であった。イギリスの社会は周知のように、階級分化がすすんでいて、その社会独特の、平民的でありながら動かしがたい身分関係とそのしきたりにしばら・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・大なる直覚、赤児のような透視無二無私に 瞳を放つ処に真の根源があると思う。我等は、教育の概念にあやまたれ社会人の 才に煩わされホメロスの如き 太古の本心を失った。何処までも 繊細に 何処までも 鋭く而・・・ 宮本百合子 「五月の空」
出典:青空文庫