・・・「医科の和田といった日には、柔道の選手で、賄征伐の大将で、リヴィングストンの崇拝家で、寒中一重物で通した男で、――一言にいえば豪傑だったじゃないか? それが君、芸者を知っているんだ。しかも柳橋の小えんという、――」「君はこの頃河岸を・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・同時にガブリエルは爛々と燃える炎の剣をクララの乳房の間からずぶりとさし通した。燃えさかった尖頭は下腹部まで届いた。クララは苦悶の中に眼をあげてあたりを見た。まぶしい光に明滅して十字架にかかった基督の姿が厳かに見やられた。クララは有頂天になっ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ と見ると、藤紫に白茶の帯して、白綾の衣紋を襲ねた、黒髪の艶かなるに、鼈甲の中指ばかり、ずぶりと通した気高き簾中。立花は品位に打たれて思わず頭が下ったのである。 ものの情深く優しき声して、「待遠かったでしょうね。」 一言あた・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 宵から降り出した大雨は、夜一夜を降り通した。豪雨だ……そのすさまじき豪雨の音、そうしてあらゆる方面に落ち激つ水の音、ひたすら事なかれと祈る人の心を、有る限りの音声をもって脅すかのごとく、豪雨は夜を徹して鳴り通した。 少しも眠れなか・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・と、お貞はお君に目くばせしながら、「風通しのええ二階の三番がよかろ。あすこへ御案内おし」「なアに、どこでもいいですよ」と、僕は立ってお君さんについて行った。煙草盆が来た、改めてお茶が出た。「何をおあがりなさいます」と、お君のおき・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・その頃の日本の雑誌は専門のものも目次ぐらいは一と通り目を通していたが、鴎外と北尾氏との論争はドノ雑誌でも見なかったので、ドコの雑誌で発表しているかと訊くと、独逸の何とかいう学会の雑誌でだといった。日本人同士が独逸の雑誌で論難するというは如何・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・そうして見ると、女房の持っていた拳銃の最後の一弾が気まぐれに相手の体に中ろうと思って、とうとうその強情を張り通したものと見える。 女房は是非このまま抑留して置いて貰いたいと請求した。役場では、その決闘というものが正当な決闘であったなら、・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・といって、おじいさんは、一つ一つ、その品物に目を通しました。「この植木鉢も、持っていってくださいませんか。」と、おかみさんらしい人がいいました。 それは、粗末だけれど、大きな鉢に植えてある南天であります。もう、幾日も水をやらなかった・・・ 小川未明 「おじいさんが捨てたら」
・・・ お光は新造に向って、「どうしましょう、ここへ通しましょうか?」「ここじゃあんまり取り散らかしてあるから、下の座敷がいいじゃねえか」「じゃ、とにかく座敷へ通しましょう」とお光が立ちかかると、小僧は身を返してバタバタと先へ下りて行・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・私はことごとく同感で、それより少し前、雨の中をルパンへ急ぐ途中で、織田君、おめえ寂しいだろう、批評家にあんなにやっつけられ通しじゃかなわないだろうと、太宰治が言った時、いや太宰さん、お言葉はありがたいが、心配しないで下さい、僕は美男子だから・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫