・・・彼等はほとんど傍若無人に僕等の側を通り抜けながら、まっすぐに渚へ走って行った。僕等はその後姿を、――一人は真紅の海水着を着、もう一人はちょうど虎のように黒と黄とだんだらの海水着を着た、軽快な後姿を見送ると、いつか言い合せたように微笑していた・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・昼来た時には知らなかったが、家には門が何重もある、その門を皆通り抜けた、一番奥まった家の後に、小さな綉閣が一軒見える。その前には見事な葡萄棚があり、葡萄棚の下には石を畳んだ、一丈ばかりの泉水がある。僕はその池のほとりへ来た時、水の中の金魚が・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・雪の下へ行くには、来て、自分と摺れ違って後方へ通り抜けねばならないのに、と怪みながら見ると、ぼやけた色で、夜の色よりも少し白く見えた、車も、人も、山道の半あたりでツイ目のさきにあるような、大きな、鮮な形で、ありのまま衝と消えた。 今は最・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ 茄子畑というは、椎森の下から一重の藪を通り抜けて、家より西北に当る裏の前栽畑。崖の上になってるので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一えんが見渡される。秩父から足柄箱根の山山、富士の高峯も見える。東京の上野の森だと云うのもそれ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・もなく、僕はただぼんやり見惚れているうちに、「待つウ身にイ、つらーアき、置きイごたーアつ」も通り抜けて、終りになり、踊り手は畳に手を突いて、しとやかにお辞儀をした。こうして踊って来た時代もあったのかと思うと、僕はその頸ッ玉に抱きついてや・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・それから馬場を通り抜け、九段を下りて神保町をブラブラし、時刻は最う八時を過ぎて腹の虫がグウグウ鳴って来たが、なかなかそこらの牛肉屋へ入ろうといわない。とうとう明神下の神田川まで草臥れ足を引摺って来たのが九時過ぎで、二階へ通って例の通りに待た・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ お光は店を揚って、脱いだ両刳りの駒下駄と傘とを、次の茶の間を通り抜けた縁側の隅の下駄箱へ蔵うと、着ていた秩父銘撰の半纏を袖畳みにして、今一間茶の間と並んだ座敷の箪笥の上へ置いて、同じ秩父銘撰の着物の半襟のかかったのに、引ッかけに結んだ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ そういった途端、うしろからボソボソ尾行て来た健坊がいきなり駈けだして、安子の傍を見向きもせずに通り抜け、物凄い勢いで去って行った。兵児帯が解けていた。安子はそのうしろ姿を見送りながら、「いやな奴」と左の肩をゆり上げた。 ところ・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・不思議な戦慄が私を通り抜けました。その人影のなにか魅かれているような様子が私に感じたのです。私は海の方に向き直って口笛を吹きはじめました。それがはじめは無意識にだったのですが、あるいは人影になにかの効果を及ぼすかもしれないと思うようになり、・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・と曖昧に塩入れ場の前に六尺の天秤棒や、丸太棒やを六七本立てかけてある方に顎をちょいと突き出して搾り場を通り抜けて行ってしまった。 京一は、丸太棒を取って、これがまかない棒というんだろうと思った。従兄は顎でこの棒を指していたと思われた。も・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
出典:青空文庫