・・・今になると残されてよかったので、あの時連れて行かれようものなら、浦塩かどこかの牢で今ごろはこッぴどい目に遭ってる奴さ。すると、そのうちに今度の戦争が押ッ始まったものだから、もう露西亜も糞もあったものじゃねえ、日本の猟船はドシドシコマンドルス・・・ 小栗風葉 「深川女房」
私がまだ六つか七つの時分でした。 或日、近所の天神さまにお祭があるので、私は乳母をせびって、一緒にそこへ連れて行ってもらいました。 天神様の境内は大層な人出でした。飴屋が出ています。つぼ焼屋が出ています。切傷の直ぐ・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・蹴ったくそわるいさかい、亭主の顔みイみイ、おっさんどないしてくれまんネいうて、千度泣いたると、亭主も弱り目にたたり目で、とうとう俺を背負うて、親父のとこイ連れて行きよった。ところが、親父はすぐまた俺を和泉の山滝村イ預けよった。山滝村いうたら・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・夜になると弟を連れて温泉へやって来る。すこやかな裸体。まるで希臘の水瓶である。エマニュエル・ド・ファッリャをしてシャコンヌ舞曲を作らしめよ! この家はこの娘のためになんとなく幸福そうに見える。一群の鶏も、数匹の白兎も、ダリヤの根方で舌を・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・草苅りの子の一人二人、心豊かに馬を歩ませて、節面白く唄い連れたるが、今しも端山の裾を登り行きぬ。 荻の湖の波はいと静かなり。嵐の誘う木葉舟の、島隠れ行く影もほの見ゆ。折しも松の風を払って、妙なる琴の音は二階の一間に起りぬ。新たに来たる離・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・』 さアと促されて吉次も仕方なく連れだって行けば、お絹は先に立ち往来を外れ田の畔をたどり、堤の腰を回るとすぐ海なり。沖はよく和ぎて漣の皺もなく島山の黒き影に囲まれてその寂なるは深山の湖水かとも思わるるばかり、足もとまで月影澄み遠浅の砂白・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・「どっちへでもいい、ええかげんで連れてって呉れよ。」二人はやけになった。「あんまり追いたてるから、なお分らなくなっちまったんだ。」 スメターニンは、毛皮の帽子をぬいで額の汗を拭いた。 九 薄く、そして白い夕暮・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・紹介者に連れて行って貰って、些少の束修――金員でも品物でもを献納して、そして叩頭して御願い申せば、直ちに其の日から生徒になれた訳で、例の世話焼をして呉れる先輩が宿所姓名を登門簿へ記入する、それで入学は済んだ訳なのです。銘々勝手な事を読んで行・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・すると娘が下の留置場から連れて来られます。青い汚い顔をして、何日いたのか身体中プーンといやなにおいをさせているのです。――娘の話によると、レポーターとかいうものをやっていて、捕かまったそうです。 ところが娘は十日も家にいると、またひょッ・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・ ある日も私は次郎と連れだって、麻布笄町から高樹町あたりをさんざんさがし回ったあげく、住み心地のよさそうな借家も見当たらずじまいに、むなしく植木坂のほうへ帰って行った。いつでもあの坂の上に近いところへ出ると、そこに自分らの家路が見え・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫