・・・と彼の暗記しおる公報の一つ、常に朗読というより朗吟する一つを始めた、「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんとす、本日天候晴朗なれども波高し――ここを願います、僕はこの号外を読むとたまらなくうれしくなるのだから――ぜひこ・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・子をぽつりぽつり背負って出て皆この真葛原下這いありくのら猫の児へ割歩を打ち大方出来たらしい噂の土地に立ったを小春お夏が早々と聞き込み不断は若女形で行く不破名古屋も這般のことたる国家問題に属すと異議なく連合策が行われ党派の色分けを言えば小春は・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・このおばあさんに続いて、襷をはずしながら挨拶に来る直次の連合のおさだ、直次の娘なぞの後から、小さな甥が四人もおげんのところへ御辞儀に来た。「どうも太郎や次郎の大きくなったのには、たまげた。三吉もよくお前さん達の噂をしていますよ。あれも大・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 同時に海軍では聯合艦隊以下、多くの艦船を派出して、関西地方からどんどん食料や衛生材料なぞを運び、ひなん者の輸送をもあつかい出しました。 同日、摂政宮殿下からは、救護用として御内ど金一千万円をお下しになりました。食料品は鉄道なぞによ・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
東京の三鷹の住居を爆弾でこわされたので、妻の里の甲府へ、一家は移住した。甲府の妻の実家には、妻の妹がひとりで住んでいたのである。 昭和二十年の四月上旬であった。聯合機は甲府の空をたびたび通過するが、しかし、投弾はほとん・・・ 太宰治 「薄明」
・・・それでこの名がこの西洋人と球根という組み合わせに密接な連合をしていたのであった。もう一つの消極的な理由はこうである。 堅吉は二三年前に今の家に引っ越してから裏庭へ小さな花壇のようなものを作って四季の草花などを植えていた。去年の秋は神田の・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・ ドイツ側は勿論、聯合軍側でも気象学者がどれだけ活動しているかについては寡聞にして何らの報告にも接しないが、ドイツのごとき国柄では平生から推して考えてもほぼ想像は出来る。必ずこの方面にもぬかりなくやっているに相違ない、敵国側の観測材料を・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・六年のとき、私達の学校を代表して、私と林は「郡連合小学児童学芸大会」にでたことがある。郡の小学校が何十か集って、代表児童たちが得意の算盤とか、書き方とか、唱歌とか、お話とかをして、一番よく出来た学校へ郡視学というえらい役人から褒状が渡される・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・社から高島貞喜がくるという通知を受けとったこと、その演説会と座談会をやるため、印刷工組合と友愛会支部とで出来ている熊本労働組合連合会の役員たちが宣伝をうけもつこと、高島の接待は第五高等学校の連中がやること等であった。しかし同じ新人会熊本支部・・・ 徳永直 「白い道」
・・・東京市中の古本屋が聯合して即売会を開催したのも、たしか、明治四十二、三年の頃からであろう。 大正三、四年の頃に至って、わたくしは『日和下駄』と題する東京散歩の記を書き終った。わたくしは日和下駄をはいて墓さがしをするようになっては、最早新・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫