・・・ 貝原益軒 わたしはやはり小学時代に貝原益軒の逸事を学んだ。益軒は嘗て乗合船の中に一人の書生と一しょになった。書生は才力に誇っていたと見え、滔々と古今の学芸を論じた。が、益軒は一言も加えず、静かに傾聴するばかりだった。そ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・さすれば内裡の内外ばかりうろついて居る予などには、思いもよらぬ逸事奇聞が、舟にも載せ車にも積むほど、四方から集って参るに相違あるまい。何と、皆のもの、迷惑ながらこの所望を叶えてくれる訳には行くまいか。「何、叶えてくれる? それは重畳、で・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・と訊いたという奇抜な逸事を残したほどの無風流漢であった。随って商売上武家と交渉するには多才多芸な椿岳の斡旋を必要としたので、八面玲瓏の椿岳の才機は伊藤を助けて算盤玉以上に伊藤を儲けさしたのである。 伊藤八兵衛の成功は幕末に頂巓に達し、江・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・と挨拶された時は読売記者は呆気に取られて、暫らくは開いた口が塞がらなかったという逸事がある。 鴎外は幼時神童といわれたそうだ。虚実は知らぬが、「十ウで神童、ハタチで才子、二十以上はタダの人というお約束通り、森の子も行末はタダの人サ、」と・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・この頃の或る新聞に、沼南が流連して馴染の女が病気で臥ている枕頭にイツマデも附添って手厚く看護したという逸事が載っているが、沼南は心中の仕損いまでした遊蕩児であった。が、それほど情が濃やかだったので、同じ遊蕩児でも東家西家と花を摘んで転々する・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・少し常識の桁をはずれた男で種々の逸事が残ってるが、戯作好きだという咄は残っていないからそれほど好きではなかったろう。事実また、外曾祖父の遺物中には馬琴の外は刊本にも写本にも小説は一冊もなかった。ただ馬琴の作は上記以外自ら謄写したものが二、三・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・と古川先生大いに満足して一尾の鰻を十倍旨く舌打して賞翫したという逸事がある。恩師の食道楽に感化された乎、将た天禀の食癖であった乎、二葉亭は食通ではなかったが食物の穿議がかなり厳ましかった。或る時一緒に散策して某々知人を番町に尋ねた帰るさに靖・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
(はじめに、黄村先生が山椒魚に凝って大損をした話をお知らせしましょう。逸事の多い人ですから、これからも時々、こうして御紹介したいと思います。三つ、四つと紹介をしているうちに、読者にも、黄村先生の人格の全貌 黄村先生が、山・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・けれども、あの山椒魚の失敗にしても、またこのたびの逸事にしても、先生にとっては、なかなか悲痛なものがあったに違いない、と私には思われてならぬので、前回の不評判にも懲りずに、今回ふたたび先生の言行を記録せむとする次第なのである。先生の失敗は、・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・そのほか、勾当の逸事は枚挙に遑なし。盲人一流の芸者として当然の事なれども、触覚鋭敏精緻にして、琉球時計という特殊の和蘭製の時計の掃除、修繕を探りながら自らやって楽しんでいた。若き頃より歯が悪く、方々より旅の入歯師来れどもなかなかよき師にめぐ・・・ 太宰治 「盲人独笑」
出典:青空文庫