・・・小涌谷辺は桜が満開で遊山の自動車が輻湊して交通困難であった。たった一台交通規則を無視した車がいたため数十台が迷惑するというのがこういう場合の通則である。「クラブ洗粉」の旗を立てた車も幾台かいた。享楽しながら商売の宣伝になるのは能率のいいこと・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・夏は納涼、秋は菊見遊山をかねる出養生、客あし繁き宿ながら、時しも十月中旬の事とて、団子坂の造菊も、まだ開園にはならざる程ゆゑ、この温泉も静にして浴場は例の如く込合へども皆湯銭並の客人のみ、座敷に通るは最稀なり。五六人の女婢手を束ねて、ぼんや・・・ 永井荷風 「上野」
・・・、一家貧にして衣食住も不如意なれば固より歌舞伎音曲などの沙汰に及ぶ可らず、夫婦辛苦して生計にのみ勉む可きなれども、其勉強の結果として多少の産を成したらんには、平生の苦労鬱散の為めに夫婦子供相伴うて物見遊山も妨なきことならん。是亦記者に於て許・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・世間の婦人或は此道理を知らず、多くの子を持ちながら其着物の綻を縫うは面倒なり、其食事の世話は煩わしとて之を下女の手に託し、自分は友達の附合、物見遊山などに耽りて、悠々閑々たる者あるこそ気の毒なれ。元来を言えば婦人の遊楽決して咎む可らず。鬱散・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・たらちねの花見の留守や時計見る 内の者の遊山も二年越しに出来たので、予に取っても病苦の中のせめてもの慰みであった。彼らの楽みは即ち予の楽みである。○二、三年前に不折が使い古しの絵具を貰って、寝て居りながら枕元にある活花盆栽などの・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・下から多勢の遊山客がのぼって来るが、急なその坂道は、眺望のよいのにかかわらず、いかにも辷りやすい。広業寺のもちものだから、横木を入れれば余程楽しるのに。十本も入れてくれれば、何ぼいいかしんないのにねえ、と、山の茶屋のお内儀が話した。でも、尼・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・大人の遊山の様がいかにも京都らしい印象を彼等に与えた。 円山の方へ向って行く。往来が疎らになった彼方から、女が二人来た。ぼんやり互の顔が見分けられる近さになると、大きな声で一方が呼びかけた。「ゲンコツァン!」 桃龍とも一人、彼等・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・なき人の世のうつろいを暗示する姿として自然が文学に描かれ、徳川時代の町人文学の擡頭時代には、すでに万葉時代の暢やかさ、豊醇さは自然の描写から遠く失われ、一方に無情的自然観を伝承していると同時に、町人の遊山の場面として生活に入って来る自然、あ・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・尤も設備の整った温泉場となると、ドンチャン騒ぎの遊山客がくるので困ります。ドンチャン騒ぎも一日や一晩ぐらいなら、わたしだって面白いと思いますけれど、毎日毎晩ではやりきれません。 入浴、髪 風呂はすきですから毎日・・・ 宮本百合子 「身辺打明けの記」
・・・ 通り一遍の知人である男子と、第三者を加えず物見遊山に出かけたり、夜会に出たりすることは、正しい身持の娘なら決して仕ないことです。友達でも、或る年頃までは三人以上。二人きりで度々行動を共にするのを見れば、人はもう相互が愛人の関係にあるも・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
出典:青空文庫