・・・が、一週間ばかり前に、下女か何かの過失から、妻の手にはいる可き郵便が、僕の書斎へ来ているじゃないか。僕はすぐ妻の従弟の事を考えた。そうして――とうとうその手紙を開いて見た。すると、その手紙は思いもよらないほかの男から妻へ宛てた艶書だったのだ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 人間的な 我我人間の特色は神の決して犯さない過失を犯すと云うことである。 罰 罰せられぬことほど苦しい罰はない。それも決して罰せられぬと神々でも保証すれば別問題である。 罪 道徳・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・昨十八日午前八時四十分、奥羽線上り急行列車が田端駅附近の踏切を通過する際、踏切番人の過失に依り、田端一二三会社員柴山鉄太郎の長男実彦(四歳が列車の通る線路内に立ち入り、危く轢死を遂げようとした。その時逞しい黒犬が一匹、稲妻のように踏切へ飛び・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・ ――――――――――――――――――――――――― 修理の刃傷は、恐らく過失であろう。細川家の九曜の星と、板倉家の九曜の巴と衣類の紋所が似ているために、修理は、佐渡守を刺そうとして、誤って越中守を害したのである・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・六つの子供にとって、これだけの過失は想像もできない大きなものであるに違いない。子供は手の甲を知らず知らず眼の所に持って行ったが、そうしてもあまりの心の顛倒に矢張り涙は出て来なかった。 彼は心まで堅くなってじっとして立っていた。がもう黙っ・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・……どれも大事な小児たち――その過失で、私が学校を止めるまでも、地じだんだを踏んでなりと直ぐに生徒を帰したい。が、何でもない事のようで、これがまた一大事だ。いやしくも父兄が信頼して、子弟の教育を委ねる学校の分として、婦、小児や、茱萸ぐらいの・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・この娘かと云うので、拷問めいた事までしたが、見たものの過失で、焼けはじめの頃自分の内に居た事が明に分って、未だに不思議な話になっているそうである。初めに話した静岡の家にも、矢張十三四の子守娘が居たと云う、房州にも矢張居る、今のにも、娘がつい・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・ 衝と銜えると、大概は山へ飛ぶから間違はないのだが、怪我に屋根へ落すと、草葺が多いから過失をしでかすことがある。樹島は心得て吹消した。線香の煙の中へ、色を淡く分けてスッと蝋燭の香が立つと、かあかあと堪らなそうに鳴立てる。羽音もきこえて、・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・お話しをするまでもありません、過失って取落しまする際に、火の消えませんのが、壺の、この、」 と目通りで、真鍮の壺をコツコツと叩く指が、掌掛けて、油煙で真黒。 頭髪を長くして、きちんと分けて、額にふらふらと捌いた、女難なきにしもあらず・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・人間てものは誰でも誤って邪路に踏迷う事があるが、心から悔悛めれば罪は奇麗に拭い去られると懇々説諭して、俺はお前に顔へ泥を塗られたからって一端の過失のために前途にドンナ光明が待ってるかも解らないお前の一生を葬ってしまいたくない。なお更これから・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
出典:青空文庫