・・・私も今後は経済的には自分の力だけの範囲で生活する覚悟でいますが、従来親譲りの遺産によって衣食してきた関係上、思うようにいかない境遇に追いつめられるかもしれません。そんな時が来ても、私がこの農場を解放したのを悔いるようなことは断じてないつもり・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・一生苦労しつづけて死んだ細君の代りに、せめてもに娘にこれが父親の自分が遺すことの出来る唯一の遺産だといって見せた真剣な対局であった。なににも代えがたい大事の一局であった。その対局に坂田は敗れたのだ。相手の木村八段にまるで赤子の手をねじるよう・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・行方を晦ましたのは策戦や、養子に蝶子と別れたと見せかけて金を取る肚やった、親爺が死ねば当然遺産の分け前に与らねば損や、そう思て、わざと葬式にも呼ばなかったと言った。蝶子は本当だと思った。柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 人間共存のシンパシィと、先人の遺産ならびに同時代者の寄与とに対する敬意と感謝の心とをもって書物は読まるべきである。たとい孤独や、呪詛や、非難的の文字の書に対するときにも、これらの著者がこれを公にした以上は、共存者への「訴えの心」が潜在・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・私には、なんにも知らせず、それこそ私の好きなように振舞わせて置いてくれましたが、兄たちは、なかなか、それどころでは無く、きっと、百万以上はあったのでしょう、その遺産と、亡父の政治上の諸勢力とを守るのに、眼に見えぬ努力をしていたにちがいありま・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・いまに叔母が死ねば遺産も貰える。私には私の誇があるのだ。私はあの人を愛していない。愛するとは、もっと別な、母の気持も含まれた、血のつながりを感じさせるような、特殊の感情なのではなかろうか。私は、あの人を愛していない。科学者としての私の道を、・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・摩郡に本籍を有していたのであったが、亡父が中学校や女学校の校長として、あちこち転任になり、家族も共について歩いて、亡父が仙台の某中学校の校長になって三年目に病歿したので、津島は老母の里心を察し、亡父の遺産のほとんど全部を気前よく投じて、現在・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・僕も父親の遺産のおかげで、こうしてただのらくらと一日一日を送っていて、べつにつとめをするという気も起らず、青扇の働けたらねえという述懐も、僕には判らぬこともないのであるが、けれど青扇がほんとうにいま一文も収入のあてがなくて暮しているのだとす・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・お前たちにおれは、これを遺産として、永遠の領地として、贈ってやる。さあ、仲好く分け合うのだ。」その声を聞き、忽ち先を争って、手のある限りの者は右往左往、おのれの分前を奪い合った。農民は原野に境界の杙を打ち、其処を耕して田畑となした時、地主が・・・ 太宰治 「心の王者」
・・・ 百五十万の遺産があったという。いまは、いくらあるか、かいもく、知れず。八年前、除籍された。実兄の情に依り、きょうまで生きて来た。これから、どうする? 自分で生活費を稼ごうなど、ゆめにも思うたことなし。このままなら、死ぬるよりほかに路が・・・ 太宰治 「悶悶日記」
出典:青空文庫