・・・ 尤も伝来の遺習が脱け切れなかった為めでもあるが、一つには職業としての文学の存立が依然として難かしいのが有力なる大原因となっておる。今より二十何年前にはイクラ文人が努力しても、文人としての収入は智力上遥に劣ってる労働階級にすら及ばないゆ・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・そのころにはこういうものは、「西洋人に見られると恥ずかしい野蛮の遺習」だというふうに考えられて、公然とはできないことになっていたように記憶する。それでも、都会離れたこの浦里などでは、暗いさびしい貴船神社の森影で、この何百年前の祖先から土の底・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・当時を顧ると、時世の好みは追々芸者を離れて演劇女優に移りかけていたので、わたくしは芸者の流行を明治年間の遺習と見なして、その生活風俗を描写して置こうと思ったのである。カッフェーの女給はその頃にはなお女ボーイとよばれ鳥料理屋の女中と同等に見ら・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・其趣は西洋の文典書中に実名詞の種類を分けて男性女性中性の名あるが如く、往古不文時代の遺習にして固より深き意味あるに非ず。左れば男子は活溌にして身体強大なるが故に陽の部に入り、女子は静にして小弱なるが故に陰なりなど言う理窟もあらんかなれども、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・御存知のように日本には徹底したブルジョア革命が無かったから、封建時代の思想、遺習が多分に残っていて、女の文化程度が非常に低い。今日日本で婦人労働者の数は全労働人員の四割七分を占めているが、その大部分は繊維工で、教育程度は平均僅かに小学四年で・・・ 宮本百合子 「婦人作家の「不振」とその社会的原因」
・・・京都の祇園祭りの鋒の山車の引き方はその幽かな遺習であるかもしれない。大阪城の巨石のごときは何百人何千人の力を一つの気合いに合わせなくては一尺を動かすこともできなかったであろう。それでもまだどうして動かせたか見当のつかないほどの巨石がある。そ・・・ 和辻哲郎 「城」
出典:青空文庫