・・・芝公園の方にある休茶屋が、ともかくも一時この人達の避難する場所にあてられた。その休茶屋には、以前お三輪のところに七年も奉公したことのあるお力が内儀さんとしていて、漸くのことでそこまで辿り着いた旧主人を迎えてくれた。こんな非常時の縁が、新七と・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・家のくずれかたむいた人は地震のゆれかえしをおそれて、街上へ家財をもち出し、布や板で小屋がけをして寝たり、どのうちへも大てい一ぱい避難者が来て火事場におとらずごたごたする中で、一日二日の夜は、ばく弾をもった或暴徒がおそって来るとか、どこどこの・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・お酌の女は何の慾もなく、また見栄もなく、ただもう眼前の酔いどれの客を救おうとして、こん身の力で大尉を引き起し、わきにかかえてよろめきながら田圃のほうに避難します。避難した直後にはもう、神社の境内は火の海になっていました。 麦を刈り取った・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・いや、僕もこんどの戦争では、ひどいめに遭いましてね、結婚してすぐ召集されて、やっと帰ってみると家は綺麗に焼かれて、女房は留守中に生れた男の子と一緒に千葉県の女房の実家に避難していて、東京に呼び戻したくても住む家が無い、という現状ですからね、・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・私は園子を背負って田舎に避難するような事になるかも知れない。すると主人は、あとひとり居残って、家を守るという事になるのだろうが、何も出来ない人なのだから心細い。ちっとも役に立たないかも知れない。本当に、前から私があんなに言っているのに、主人・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・ 私は昨年罹災して、この津軽の生家に避難して来て、ほとんど毎日、神妙らしく奥の部屋に閉じこもり、時たまこの地方の何々文化会とか、何々同志会とかいうところから講演しに来い、または、座談会に出席せよなどと言われる事があっても、「他にもっと適・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・うどこの百貨店で火災時の消防予行演習が行なわれていたためもあっていっそうの効力を発揮したようであるが、あの際もしもあの建物の中で遭難した人らにもう少し火災に関する一般的科学知識が普及しており、そうして避難方法に関する平素の訓練がもう少し行き・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・その煙の奥の方から本郷の方へと陸続と避難して来る人々の中には顔も両手も癩病患者のように火膨れのしたのを左右二人で肩に凭らせ引きずるようにして連れて来るのがある。そうかと思うとまた反対に向うへ行く人々の中には写真機を下げて遠足にでも行くような・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ あんなにも痛ましくたくさんの死者を出したのは一つには市街が狭い地峡の上にあって逃げ道を海によって遮断せられ、しかも飛び火のためにあちらこちらと同時に燃え出し、その上に風向旋転のために避難者の見当がつかなかったことなども重要な理由には相・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・これはもちろん、避難者の荷物が豊富な焚付けを供給したためである。火災後、橋々の上には、箪笥やカバンの金具が一面にちらばっていたのでも、おおよそ想像が出来る。 永くこの経験と教訓を忘れないために、主な橋々に、この焼けこぼれた石の柱や板の一・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
出典:青空文庫