・・・ちょうど汀の銀の蘆を、一むら肩でさらりと分けて、雪に紛う鷺が一羽、人を払う言伝がありそうに、すらりと立って歩む出端を、ああ、ああ、ああ、こんな日に限って、ふと仰がるる、那須嶽連山の嶺に、たちまち一朶の黒雲の湧いたのも気にしないで、折敷にカン・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・一昨日那須温泉から帰って来、昨日一日買いものその他に歩き廻って又戻って行こうとしているのだから。それに窓外の風景もまだ平凡だ。僅かとろりとした時、隣りの婆さんが、後の男に呼びかけた。「あのう――白岡はまだよっぽど先でござんしょうか」・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・ 乗り合 黒磯――那須、五月一日 ○松川やのおかみ、有江の婆さんの感じ「私たちは山ん中でちぢかんで暮すように、運命づけられて居るのかもしれませんね」〔欄外に〕乾からびた声 ○オートバイが一台ゆく・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・を書けども我心 一つにならぬかるきかなしみ訪ふ人もあらぬ小塚の若きつた 小雨にぬれて青く打ち笑む行きずりの馬のいばりに汚されし 無縁仏の小さくもあるかな那須の野の春まだ浅き木の元を 野・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・前の廊下を通る者はなく、こうやって座っていても、細い鉄の手摺り越しに遙か目の下に那須野が原まで垂れた一面の雨空と、前景の濃い楢の若葉、一本の小さい煙突、よその宿屋の手摺りにかかった手拭などが眺められる。濡れて一段と美しい楢の若葉を眺めつつ私・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・ 八月十八日 那須に十一時の夜行で立つ。車中、五六人の東山行の団隊、丸い六十近いおどけ男、しきりに仲間にいたずらをする。紙切を結びつけたりして。那須登山 三日目四五日目、Aの退屈、夏中出来なかった仕事のエキスキュース・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(二)」
出典:青空文庫