上田豊吉がその故郷を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。 その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途の成功を卜してその門出を祝した。『大いなる事業』ちょう言葉の宮の壮麗しき台を金色の霧の裡に描・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・それで学校においても郷党にあっても、とくに人から注目せられる少年ではなかった。 けれども天の与えた性質からいうと、彼は率直で、単純で、そしてどこかに圧ゆべからざる勇猛心を持っていた。勇猛心というよりか、敢為の気象といったほうがよかろう。・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ 朝廷には位を貴び、郷党には齢を貴ぶというは、政府の官職貴きも、これをもって郷党民間の交際を軽重するに足らずとの意味ならん。いわんや学問社会に対するにおいてをや。政府の官途に奉職すればとて、その尊卑は毫も効なきものと知るべし。仏蘭西の大・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・先生は此有様を見て恰も強有力なる味方を得たるの思いして、愉快自から禁ずる能わざると同時に、又一方を顧みれば新条約実施の期限は本年七月と定まり、僅々一年の後には外国人も内地に雑居して日本人と郷党隣人の交際を為すに至る可しと言う。従来の儘なる我・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ただわけもなく医学塾にいて、医学生とともに荷蘭の医書を講じ、物理を研究したるのみにして、かつこの洋学を勉むればこれによりて誉れを郷党朋友に得るかというに、決して然らざるのみならず、かえって公衆の怒に触るるくらいの時勢にして、はなはだ楽しから・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
出典:青空文庫