・・・こいつは一つ赤飯の代りに、氷あずきでも配る事にするか。」 賢造の冗談をきっかけに、慎太郎は膝をついたまま、そっと母の側を引き下ろうとした。すると母は彼の顔へ、突然不審そうな眼をやりながら、「演説? どこに今夜演説があるの?」と云った・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・また実際お島婆さんが、二人の間の電話にさえ気を配るようになったとすると、勿論泰さんとお敏とが秘密の手紙をやりとりしているにも、目をつけているのに相違ありませんから、泰さんの慌てるのももっともなのです。まして新蔵の身になって見れば、どうする心・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ おとよはもう待つ人のくる刻限と思うので、しばしば洗濯の手を止めては枝折戸の外へ気を配る。洗濯の音は必ず外まで聞えるはずであるから、省作がそこまでくれば躊躇するわけはない。忍びよる人の足音をも聞かんと耳を澄ませば、夜はようやく更けていよ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・平生の知己に対して進退行蔵を公明にする態度は間然する処なく、我々後進は余り鄭重過ぎる通告に痛み入ったが、近い社員の解職は一片の葉書の通告で済まし、遠いタダの知人には頗る慇懃な自筆の長手紙を配るという処に沼南の政治家的面目が仄見える心地がする・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 無論、お前もそのことは百も承知してか、ともかく宣伝が第一だと、嘘八百の文句を並べたチラシを配るなど、まあ勢一杯に努めていたというわけだが、そのチラシ自体がわるかった。 おれもお前に貰って、見たが、版がわるい上に、紙も子供の手習いに・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・貧しく育った彼は貧乏人の味方であり、社会改造の熱情に燃えていたが、学校の前でその運動のビラを配る時、彼のそんな服装が非常に役に立ったというくらい、汚ない恰好をしていたのである。 もっとも、貧乏だけで人はそんなに汚なくなるものではなかろう・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・継子の夫を持てばやはり違うのかと奉公人たちはかんたんにすかされて、お定の方へ眼を配るとお定もお光にだけは邪険にするような気配はないようだった。 お定は気分のよい時など背中を起してちょぼんと坐り、退屈しのぎにお光の足袋を縫うてやったりして・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 特務曹長に、兵卒の思想についても気を配るように云い含められてきている深山軍曹は、話をほかへ持って行こうとした。「よせ、よせ。そんなことは。」彼は、叱るように云った。「俺ら、なにも、嘘を話してるんじゃねえんだ。有る通りを云ってる・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・ 昔の日本人は前後左右に気を配る以外にはわずかにとんびに油揚をさらわれない用心だけしていればよかったが、昭和七年の東京市民は米露の爆撃機に襲われたときにいかなる処置をとるべきかを真剣に講究しなければならないことになってしまった。襲撃者は・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・ 昔の日本人は前後左右に気を配る以外にはわずかに鳶に油揚を攫われない用心だけしていればよかったが、昭和七年の東京市民は米露の爆撃機に襲われたときに如何なる処置をとるべきかを真剣に講究しなければならないことになってしまった。襲撃者は鳶以上・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
出典:青空文庫