・・・しかし家蔵の墨妙の中でも、黄金二十鎰に換えたという、李営丘の山陰泛雪図でさえ、秋山図の神趣に比べると、遜色のあるのを免れません。ですから翁は蒐集家としても、この稀代の黄一峯が欲しくてたまらなくなったのです。 そこで潤州にいる間に、翁は人・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・しかし李敬業の乱に当り、駱賓王の檄を読んだ時には色を失うことを免れなかった。「一抔土未乾 六尺孤安在」の双句は天成のデマゴオクを待たない限り、発し得ない名言だったからである。 わたしは歴史を翻えす度に、遊就館を想うことを禁じ得ない。過去・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・目の前に聳えた松樹山の山腹にも、李家屯の我海軍砲は、幾たびか黄色い土煙を揚げた。その土煙の舞い上る合間に、薄紫の光が迸るのも、昼だけに、一層悲壮だった。しかし二千人の白襷隊は、こう云う砲撃の中に機を待ちながら、やはり平生の元気を失わなかった・・・ 芥川竜之介 「将軍」
上 いつごろの話だか、わからない。北支那の市から市を渡って歩く野天の見世物師に、李小二と云う男があった。鼠に芝居をさせるのを商売にしている男である。鼠を入れて置く嚢が一つ、衣装や仮面をしまって置く・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・ 赤木は昔から李太白が贔屓で、将進酒にはウェルトシュメルツがあると云うような事を云う男だから、僕の読んでいる本に李太白の名がないと、大に僕を軽蔑した。そこで僕も黙っていると負けた事にされるから暑いのを我慢して、少し議論をした。どうせ暇つ・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・麦やや青く、桑の芽の萌黄に萌えつつも、北国の事なれば、薄靄ある空に桃の影の紅染み、晴れたる水に李の色蒼く澄みて、午の時、月の影も添う、御堂のあたり凡ならず、畑打つものの、近く二人、遠く一人、小山の裾に数うるばかり稀なりしも、浮世に遠き思あり・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・あの低い松の枝の地紙形に翳蔽える葉の裏に、葦簀を掛けて、掘抜に繞らした中を、美しい清水は、松影に揺れ動いて、日盛にも白銀の月影をこぼして溢るるのを、広い水槽でうけて、その中に、真桑瓜、西瓜、桃、李の実を冷して売る。…… 名代である。・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 青梅もまだ苦い頃、やがて、李でも色づかぬ中は、実際苺と聞けば、小蕪のように干乾びた青い葉を束ねて売る、黄色な実だ、と思っている、こうした雪国では、蒼空の下に、白い日で暖く蒸す茱萸の実の、枝も撓々な処など、大人さえ、火の燃ゆるがごとく目・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 園生は、一重の垣を隔てて、畑造りたる裏町の明地に接し、李の木、ぐみの木、柿の木など、五六本の樹立あり。沓脱は大戸を明けて、直ぐその通庭なる土間の一端にありて、上り口は拭き込みたる板敷なり。これに続ける六畳は、店と奥との中の間にて、土地・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・冬籠の窓が開いて、軒、廂の雪がこいが除れると、北風に轟々と鳴通した荒海の浪の響も、春風の音にかわって、梅、桜、椿、山吹、桃も李も一斉に開いて、女たちの眉、唇、裾八口の色も皆花のように、はらりと咲く。羽子も手鞠もこの頃から。で、追羽子の音、手・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
出典:青空文庫