・・・自分の顔がまるで知らない人の顔のように見えて来たり、眼が疲れて来る故か、じーっと見ているうちに醜悪な伎楽の腫れ面という面そっくりに見えて来たりする。さーっと鏡の中の顔が消えて、あぶり出しのようにまた現われたりする。片方の眼だけが出て来てしば・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・それは多くは醜悪なものであり、最もいい場合でも、すでに青春を失ってしまったところの、エスプリなき情事にすぎないからだ。 二 倫理的憧憬と恋愛 性の目ざめと同時に善への憧憬が呼びさまされるということは何という不思議な、・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・そのくせ、人の醜悪面を見ては不公平だの、キタないのと云ってこぼして居るのだ。こんな奴は田舎へ行って百姓でもして居る方が柄に合っているのだ。──百姓をすると又、地子が高いの、取った米の値が安すぎるのとブツ/\こぼすであろう。 蛇の皮をはい・・・ 黒島伝治 「自画像」
近時世界の耳目を聳動せる仏国ドレフューの大疑獄は軍政が社会人心を腐敗せしむる較著なる例証也。 見よ其裁判の曖昧なる其処分の乱暴なる、其間に起れる流説の奇怪にして醜悪なる、世人をして殆ど仏国の陸軍部内は唯だ悪人と痴漢とを・・・ 幸徳秋水 「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」
・・・これはたいへん立派な言葉のように聞えますが、実は狡猾な醜悪な打算に満ち満ちている遁辞です。君はいったい、いまさら自分が誠実な人間になれると思っているのですか。誠実な人間とは、どんな人間だか知っていますか。おのれを愛するが如く他の者を愛する事・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・叡智を忘れた私のきょうまでの盲目の激情を、醜悪にさえ感じた。 けだものの咆哮の声が、間断なく聞える。「なんだろう。」私は先刻から不審であった。「すぐ裏に、公園の動物園があるのよ。」妹が教えてくれた。「ライオンなんか、逃げ出しちゃ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・なるほど、蜆の肉は、お臍みたいで醜悪だ。僕は、何も返事が出来なかった。無心な驚きの声であっただけに、手痛かった。ことさらに上品ぶって、そんな質問をするのなら、僕にも応答の仕様がある。けれども、その声は、全く本心からの純粋な驚きの声なのだから・・・ 太宰治 「水仙」
・・・三日も洗面しないような顔ですね。醜悪な感じさえあります。でも、作家の日常の顔は、これくらいでたくさんです。だんだん、ほんものになって来たのかも知れない。つまり、ほんものの俗人ですね。 あとは皆、三鷹へ来てからの写真です。写真をとってくれ・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・見出しで出ているものの内で、知名の人の死に関する詳細な記事とか、外国から来た貴賓の動静とかはまだいいとしたところで、それらよりももっと今の新聞の特色として目立っているものは、この世の中にありとあらゆる醜悪な「罪」に関する詳細の記事である。こ・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・P君はこれらの言語を見るか聞くか――特にある人たちの口からこれを聞く場合には反射的に直ちに非常に醜悪な罪とけがれを連想するそうである。自分は充分にその異常な心持ちをくみとる事はできないが、ただ昔の宗教革命者などという人の内には存外P君のよう・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
出典:青空文庫