・・・答「私は飯田さんたちがすぐ釈放され、私もかくしとおしておけると信じてましたから、がんばろうと思ってウソをいったのです。ところがこの事件はまったく私一人でやったことで、誰とも相談していないのに、田中検事さんや平山検事さんは八月十五日ごろからと・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・絶対反対の叫びを職場に、サークルにひろくひろく響かせ、前衛即時釈放の要求をつきつけなければなりません。そして、支配階級の立場の弱さをかくす為にされようとする統一審理廃止に対しては、どこ迄も統一審理を継続させるよう闘わなければなりません。・・・ 宮本百合子 「同志たちは無罪なのです」
○一昨年十二月二十五日 新日本文学主催の文学者のファシズム反対講演会東條 処刑A級戦犯 釈放「安部源基」 1931年 満州侵略がはじまったころ、大泉、小畑をつかっていた男。児玉よしを 台湾への□(二、・・・ 宮本百合子 「東大での話の原稿」
・・・十月四日、連合軍総司令部の指令によって、治安維持法の撤廃、政治犯人の釈放、言論、出版、集会の自由が命令された。十月十〔四〕日、宮本が網走刑務所から解放されて東京へ帰ってきた。府中刑務所の予防拘禁から解放された徳田球一その他の同志たち・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・の終りの部分に就いて島木氏に、あれはどうも変だ、どうしてあの主人公は釈放を求めずにいるんでしょう、あれでいいんでしょうかという意味を言ったらば、島木氏は例の謹厳な面もちのまま、ああ、あすこのところはこしらえてあるという意味を答えた。そうだと・・・ 宮本百合子 「ヒューマニズムへの道」
・・・といった十二月二十三日の次の日、わたしたちはA級戦犯容疑者十七名が釈放された記事と写真とをみました。 釈放された人のなかに、安倍源基という名があります。昭和のはじめ、日本の天皇制が侵略戦争をはじめたにつれて、治安維持法がしだいに殺人的な・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
・・・ 一九四八年十二月に東條をはじめとする戦争首謀者たちの処刑が行われ、その犠牲において児玉誉士夫のようなファシズム文化の運動に関係ある日本のファシスト戦犯が大量に無罪釈放されて民間にまぎれこんだ。このことは、日本民主化のために重大な害悪と・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・同時に今日の新聞はA級の容疑者が十九名釈放されたと伝えています。そして写真が出ました。あの写真を御覧になった皆さんは、ここにいらっしゃる方々は若い方が多いから、直接自分の体の上にお感じになっていないかもしれません。だけれども私はあの人達が何・・・ 宮本百合子 「平和運動と文学者」
・・・政府はロシアばかりか外国でまで行われたゴーリキイ死刑反対の大示威運動におどろいて、余儀なく釈放したのであった。 不幸なロシア人民の解放運動資金を集めるためにゴーリキイは次の年アメリカへ講演旅行に出かけた。ツァーの秘密警察は手を廻してゴー・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・ 私をついに釈放した官憲は、出てから後、私と大衆とを切りはなし、私の積極性を奪おうとして、いろいろのデマを放った。父親が詫り状を書いたから許されたとか、私がもう仕事をやめて引込むといったとか。いまなお彼らの陰険な手は私のまわりから去って・・・ 宮本百合子 「ますます確りやりましょう」
出典:青空文庫