・・・次にまた仏教の創設者釈迦牟尼を見よ。釈迦は出離の道を求めんが為に檀特山と名くる林中に於て六年精進苦行した。一日米の実一粒亜麻の実一粒を食したのである。されども遂にその苦行の無益を悟り山を下りて川に身を洗い村女の捧げたるクリームをとりて食し遂・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・あるいは狗子仏性を問答する禅僧である。あるいは釈迦の誕生を見まもる女の群れである。風景を描けば、そこには千の与四郎がたたずんでいる。あるいは維盛最後の悲劇的な心持ちが、山により川によって現わそうと努められている。さらに純然たる幻想の物語を、・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・百済王が始めて釈迦銅像を献じた時、それを見た我々の祖先の著明なる一人は、その「いまだかつて見ざる端厳なる相貌」に歓喜した。そうしてそれが仏教襲来の機縁であった。その後仏教の興隆とともにますます芸術的精練を加えた「偶像」が、いかにわれらの祖先・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫