・・・時に大正壬戌の年、黄花未だ発せざる重陽なり。 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・或日父母に従って馬車を遠く郊外に馳せ、柳と蘆と桑ばかり果しなくつづいている平野の唯中に龍華寺という古刹をたずね、その塔の頂に登った事を思返すと、その日はたしかに旧暦の九月九日、即ち重陽の節句に当っていたのであろう。重陽の節に山に登り、菊の花・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・題して『十日の菊』となしたのは、災後重陽を過ぎて旧友の来訪に接した喜びを寓するものと解せられたならば幸である。自ら未成の旧稿について饒舌する事の甚しく時流に後れたるが故となすも、また何の妨があろう。 二 まだ築地・・・ 永井荷風 「十日の菊」
出典:青空文庫