・・・王命を果した金将軍は桂月香を背負いながら、人気のない野原を走っていた。野原の涯には残月が一痕、ちょうど暗い丘のかげに沈もうとしているところだった。金将軍はふと桂月香の妊娠していることを思い出した。倭将の子は毒蛇も同じことである。今のうちに殺・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・ 穂積中佐は微笑した眼に、広い野原を眺めまわした。もう高粱の青んだ土には、かすかに陽炎が動いていた。「それもまた大成功さ。――」 中村少佐は話し続けた。「閣下は今夜も七時から、第×師団の余興掛に、寄席的な事をやらせるそうだぜ・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 畑の中に生えている百合は野原や山にあるやつと違う。この畑の持ち主以外に誰も取る事は許されていない。――それは金三にもわかっていた。彼はちょいと未練そうに、まわりの土へ輪を描いた後、素直に良平の云う事を聞いた。 晴れた空のどこかには・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・広い野原に来ていました。どっちを見ても短い草ばかり生えた広い野です。真暗に曇った空に僕の帽子が黒い月のように高くぶら下がっています。とても手も何も届きはしません。飛行機に乗って追いかけてもそこまでは行けそうにありません。僕は声も出なくなって・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・そして私がそれを着て出まして、指環を受取りますつもりなのでございましたが、なぶってやろう、とおっしゃって、奥様が御自分に烏の装束をおめし遊ばして、塀の外へ――でも、ひょっと、野原に遊んでいる小児などが怪しい姿を見て、騒いで悪いというお心付き・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・「でも、貴方様まるで野原でござります。お児達の歩行いた跡は、平一面の足跡でござりまするが。」「むむ、まるで野原……」 と陰気な顔をして、伸上って透かしながら、「源助、時に、何、今小児を一人、少し都合があって、お前達の何だ、小・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・花の様な美しかった形はもうどこかに行ってしまった様になって野原の岩によりかかってミイラの様になって死んでしまった。一体女と云うものは一生たよるべき男は一人ほかないはずだのに其の自分の身持がわるいので出されて又、後夫を求める様になっては女も終・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・その道筋は軌道を越して野原の方へ這入り込む。この道は暗緑色の草がほとんど土を隠す程茂っていて、その上に荷車の通った轍の跡が二本走っている。 薄ら寒い夏の朝である。空は灰色に見えている。道で見た二三本の立木は、大きく、不細工に、この陰気な・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・そして町を離れて、野原の細道をたどる時分にはまた、彼のよい音色が、いろいろの物音の間をくぐり抜けてくるように、遠く町の方から聞こえてきました。 その翌日から、さよ子は二階の欄干に出て、このよい音色に耳を傾けたときには、ああやはりいまごろ・・・ 小川未明 「青い時計台」
一 小さな芽 小さな木の芽が土を破って、やっと二、三寸ばかりの丈に伸びました。木の芽は、はじめて広い野原を見渡しました。大空を飛ぶ雲の影をながめました。そして、小鳥の鳴き声を聞いたのであります。(ああ、これが世の中と考えました。・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
出典:青空文庫