・・・見ると実際さっきの車は、雨を待っている葉柳が暗く条を垂らした下に、金紋のついた後をこちらへ向けて、車夫は蹴込みの前に腰をかけているらしく、悠々と楫棒を下ろしているのです。これを見た新蔵は、始めて浮かぬ顔色の底に、かすかな情熱を動かしながら、・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・こちの人は、京町の交番に新任のお巡査さん――もっとも、角海老とかのお職が命まで打込んで、上り藤の金紋のついた手車で、楽屋入をさせたという、新派の立女形、二枚目を兼ねた藤沢浅次郎に、よく肖ていたのだそうである。 あいびきには無理が出来る。・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・沼南の癖だよ、」といった。「ツイこの頃も社で沼南が、何かの話のついでに僕はマダ抱え俥を置いた事がない、イツデモ辻俥で用を足すというンのだ。沼南の金紋護謨輪の抱え俥が社の前にチャンと待ってるんだからイイじゃないか。社の者が沼南の俥を知らないと・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 大方はすゝきなりけり秋の山 伊豆相模境もわかず花すゝき 二十余年前までは金紋さき箱の行列整々として鳥毛片鎌など威勢よく振り立て振り立て行きかいし街道の繁昌もあわれものの本にのみ残りて草刈るわらべの小道一筋を除きて外は草・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
出典:青空文庫