・・・が、この部屋の天井の隅には針金細工の鳥籠が一つ、硝子窓の側にぶら下げてあった。その又籠の中には栗鼠が二匹、全然何の音も立てずに止まり木を上ったり下ったりしていた。それは窓や戸口に下げた、赤い更紗の布と一しょに珍しい見ものに違いなかった。しか・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・道ばたには針金の柵の中にかすかに虹の色を帯びた硝子の鉢が一つ捨ててあった。この鉢は又底のまわりに翼らしい模様を浮き上らせていた。そこへ松の梢から雀が何羽も舞い下って来た。が、この鉢のあたりへ来ると、どの雀も皆言い合わせたように一度に空中へ逃・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・、盂蘭盆にはさすがに詣で来る縁者もあるを、いやが上に荒れ果てさして、霊地の跡を空しゅうせじとて、心ある市の者より、田畑少し附属して養いおく、山番の爺は顔丸く、色煤びて、眼は窪み、鼻円く、眉は白くなりて針金のごときが五六本短く生いたり。継はぎ・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・ 戸を開けると一所に、中に真俯向けになっていた、穢い婆が、何とも云いようのない顔を上げて、じろりと見た、その白髪というものが一通りではない、銀の針金のようなのが、薄を一束刈ったように、ざらざらと逆様に立った。お小姓はそれッきり。 さ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・独楽に磨きをかけ、買った時には、細い針金のような心棒だったのを三寸釘に挿しかえた。その方がよく廻って勝負をすると強いのだ。もう十二三年も前に使っていたものだが、ひびきも入っていず、黒光りがして、重く如何にも木質が堅そうだった。油をしませたり・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・ 彼は、それを思うと、一寸の銅の針金、一つの銅の薬罐も、坑夫の血に色どられている気がした。 寒い、かび臭い風はスー/\奥から坑口へ向って流れ出て来た。そこで、井村は検査官を待った。公会堂の人のけはいと、唄が、次第に大きくはっきり聞えだし・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・子供が玩具にしたあとの針金のようだった、がところどころだけまぶゆくギラギラと光っていた。――「真夏」の「真昼」だった。遠慮のない大陸的なヤケに熱い太陽で、その辺から今にもポッポッと火が出そうに思われた。それで、その高地を崩していた土方は、ま・・・ 小林多喜二 「人を殺す犬」
・・・と思って見ていますと、巡査は、先に針金の輪のついた、へんな棒きれをもったまま、馬車を下りて、そこの横丁へはいっていきました。と、一分間もたたないうちに、巡査は、犬を一ぴきつかまえて引きずッて来ました。犬はきゃんきゃんなきなきていこうしました・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・女の子の財布には、その子供自身で針金ねじ曲げてこしらえた指輪なんかがはいっていて、その不手際の、でこぼこした針金の屈曲には、女の子のうんうん唸って、顔を赤くして針金ねじ曲げた子供の柔かいちからが、そのまま、じかに残っていて、彎曲のくぼみくぼ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・大きな丸太を針金で縛り合せた仮橋が生ま生ましく新しいのを見ると、前の橋が出水に流されてそのあとへ新造したばかりであろうかと思われた。雨と一緒に横しぶきに吹きつける河霧がふるえ上がるように寒かった。 河向いから池までの熊笹を切開いた路はぐ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
出典:青空文庫