・・・見るとそれは茶いろなきのこしゃっぽをかぶって外套にすぐシャツを着た男で、何か針金でこさえたものをぶらぶら持っているのでした。「もう飢饉は過ぎたの? 手伝えって何を手伝うの?」 ブドリがききました。「網掛けさ。」「ここへ網を掛・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・爾薩待「ええ、ええ、それはね、疾うから私は気が付いていましたが、針金虫の害です。」農民三「なじょにすたらいがべす。」爾薩待「それはね、亜砒酸を掛けるんです。いま私が証明書を書いてあげますから、これを持って薬店へ行って亜砒酸を買っ・・・ 宮沢賢治 「植物医師」
・・・ ねずみ捕りは全体、人間の味方なはずですが、ちかごろは、どうも毎日の新聞にさえ、猫といっしょにお払い物という札をつけた絵にまでして、広告されるのですし、そうでなくても、元来人間は、この針金のねずみ捕りを、一ぺんも優待したことはありません・・・ 宮沢賢治 「ツェねずみ」
・・・ ネネムは仕方なくはしごにとりついて登って行きましたがはしごの段々がまるで針金のように細くて手や、足に喰い込んでちぎれてしまいそうでした。「もっと登るんだよ。もっと。そら、もっと。」下では紳士が叫んでいます。ネネムはすっかり頂上まで・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・俺はいやだ、って…… ミーチャは手に持ってた針金の束でポンポン自分の脛をたたいた。 ――じゃ何かい、フェージャは……馬鹿らしい! お前達んところにはこうやってちゃんと独立した室があって、職業があって、しかも工場にあんないいヤースリが・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
○床の間の上の長押に功七級金鵄勲章の金額のところはかくれるような工合に折った書類が 茶色の小さい木の椽に入ってかかっている、針金で。○大きい木の椽に、勲八等の青色桐葉章を与う証が入っている。「三万五千五百八十四号ヲ以・・・ 宮本百合子 「Sketches for details Shima」
・・・それを石油カンにさして細い針金を引っぱり石油をランプに汲み上げるときキューキュー一種の音を立てた。そっくりその通りではないが、それに似た音と、トン、トンと間を置く遠い音響が、自分の登っている櫓からばかりでなく数々の櫓の間から何処とも知れず聞・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・漱石は一郎という不幸な主人公を自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のように際どい線の上を渡って生活の歩みを進めてゆく人間として提出した。自分がそうである代り、相手も同じ際どい針金の上を、踏み外さずに進んで来てくれなければ我慢しない人間・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」
・・・赤い小さい、可愛い椅子が、何かをのせて空の真中を歩いて行く…… さも呑気そうに気持よさそうにスースー、スースーと針金の上を滑って行く…… 彼はこんなところから、索道が見えようとは思ってもいなかったのである。 椅子は林の上を通って・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・「鞍山站まで酒を運んだちゃん車の主を縛り上げて、道で拾った針金を懐に捩じ込んで、軍用電信を切った嫌疑者にして、正直な憲兵を騙して引き渡してしまうなんと云う為組は、外のものには出来ないよ。」こう云ったのは濃紺のジャケツの下にはでなチョッキを着・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫