・・・時雨のような寒い雨が閉ざし切った鈍色の雲から止途なく降りそそいだ。低味の畦道に敷ならべたスリッパ材はぶかぶかと水のために浮き上って、その間から真菰が長く延びて出た。蝌斗が畑の中を泳ぎ廻ったりした。郭公が森の中で淋しく啼いた。小豆を板の上に遠・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 脊丈のほども惟わるる、あの百日紅の樹の枝に、真黒な立烏帽子、鈍色に黄を交えた練衣に、水色のさしぬきした神官の姿一体。社殿の雪洞も早や影の届かぬ、暗夜の中に顕れたのが、やや屈みなりに腰を捻って、その百日紅の梢を覗いた、霧に朦朧と火が映っ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・羽子板の押絵が抜け出したようで余り目に立ち過ぎたので、鈍色を女徳の看板とする教徒の間には顰蹙するものもあった。欧化気分がマダ残っていたとはいえ、沼南がこの極彩色の夫人と衆人環視の中でさえも綢繆纏綿するのを苦笑して窃かに沼南の名誉のため危むも・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・登り詰めたる階の正面には大いなる花を鈍色の奥に織り込める戸帳が、人なきをかこち顔なる様にてそよとも動かぬ。ギニヴィアは幕の前に耳押し付けて一重向うに何事をか聴く。聴きおわりたる横顔をまた真向に反えして石段の下を鋭どき眼にて窺う。濃やかに斑を・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 九月中には、胚胎を訂正し、次の月には、何か一つ出来たら書き、若し出来兼ねたら、鈍色の夢をも一度見なおさねばならない。 その時はかなり熱して書いたものも、今になると、あきたらぬ節が思いの外に多いのに失望する。 それは、私にとって・・・ 宮本百合子 「偶感」
・・・その黄色や白色は非常に鮮やかで輝いて見える。さらにまれには、しめじ茸の一群を探しあてることもある。その鈍色はいかにも高貴な色調を帯びて、子供の心に満悦の情をみなぎらしてくれる。そうしてさらに一層まれに、すなわち数年の間に一度くらい、あの王者・・・ 和辻哲郎 「茸狩り」
出典:青空文庫