・・・主婦は時々鉢巻をして髪を乱して、いかにも苦しそうに洗濯などしている事がある。流し元で器皿を洗っている娘の淋しい顔はいつでも曇っているように思われた。 二、三ヶ月程たって後息子の顔が店に見えぬようになって、店の塵を払う亭主は前よりも忙がし・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・また紋付きの羽織で、書机に向かって鉢巻きをしている絵の上に「アーウルサイ、モー落第してもかまん、遊ぶ遊ぶ」とかいたものもある。 亮が後年までほとんど唯一の親友として許し合っていたM氏との交遊の跡も同じ帳面の絵からわかる。 中学時代か・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・しかし頭へ金属の鉢巻をしてまでも聞きたいと思うものはめったにないようである。 夏休みのある日M君と二人で下高井戸のY園という所へ行って半日をはなはだしくのんきに遊んで夕飯を食った。ちょうど他には一人も客がなくて無月の暗夜はこの上もなく閑・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・鯉口半纏に向鉢巻の女房が舷から子供のおかわを洗っている。橋の向角には「かしぶね」とした真白な新しい行燈と葭簀を片寄せた店先の障子が見え、石垣の下には舟板を一枚残らず綺麗に組み並べた釣舟が四、五艘浮いている。人通りは殆どない、もう四時過ぎたか・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・「白き挿毛に、赤き鉢巻ぞ。さる人の贈り物とは見たれ。繋がるるも道理じゃ」とアーサーはまたからからと笑う。「主の名は?」「名は知らぬ。ただ美しき故に美しき少女というと聞く。過ぐる十日を繋がれて、残る幾日を繋がるる身は果報なり。カメ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・先生の家は先生のフラネルの襯衣と先生の帽子――先生はくしゃくしゃになった中折帽に自分勝手に変な鉢巻を巻き付けて被っていた事があった。――凡てこれら先生の服装に調和するほどに、先生の生活は単純なものであるらしかった。 中・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・改良剣舞の娘たちは、赤き襷に鉢巻をして、「品川乗出す吾妻艦」と唄った。そして「恨み重なるチャンチャン坊主」が、至る所の絵草紙店に漫画化されて描かれていた。そのチャンチャン坊主の支那兵たちは、木綿の綿入の満洲服に、支那風の木靴を履き、赤い珊瑚・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・そこは広い室であかりもつき砂がきれいにならされていましたがその上にそれはもうとても恐ろしいちょうざめが鉢巻をして寝ていました。(こいつのつらはまるで黒と白の棘だらけだ。こんなやつに使タネリはぶるぶるしながら入口にとまっていました。するとちょ・・・ 宮沢賢治 「サガレンと八月」
・・・浦和の方から、女子青年の娘さんたちが久留米絣の揃いの服装、もんぺに鉢巻姿で自転車にのって銀座どおりを行進して行ったのだそうだ。それは綺麗だったけれど、そのあとから制服の背中に黄色い布で長い木剣を斜に背負って自転車にのった娘さんの一隊がきかか・・・ 宮本百合子 「女の行進」
・・・火気からはなれることないその仕事で、早くから白いちぢみのシャツ一枚に、魚屋のはいていたような白い短い股引をきる職人たちは、鉢巻なんかして右、左、右、左、と「せんべい焼」道具をひっくりかえしてゆくとき、あぐらをかいて坐っている上体をひどくゆす・・・ 宮本百合子 「菊人形」
出典:青空文庫