・・・日本人をロシア人と同じ人間と考えようとする一部の思想家たちの非科学的な根本的錯誤の一つをここにも見ることができるであろう。 稲田桑畑芋畑の連なる景色を見て日本国じゅう鋤鍬の入らない所はないかと思っていると、そこからいくらも離れない所には・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・方向観念の錯誤から、すぐ目の前にある門の入口が、どうしても見つからなかったのである。家人は私が、まさしく狐に化かされたのだと言った。狐に化かされるという状態は、つまり心理学者のいう三半規管の疾病であるのだろう。なぜなら学者の説によれば、方角・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・一九四七年の日本インフレーションのこんなすさまじい波風にもまれて、電柱に和服裁縫内職の紙のひらめいている光景は、実に悲惨な時代錯誤の感じを与える風景だと思う。樋口一葉の小説の中にあるにふさわしい風景だと思う。 こういう時代錯誤的な切ない・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・一ふりの長い剣を斜に背負った姿は、日本の昔から袴の股立ちを高くとった若武者の旅姿で私たちには印象づけられているのだから、それがセイラアの制服の背中について自転車に乗って行進して来たとすれば、一種の時代錯誤が感じられるのはむしろ当然ではなかっ・・・ 宮本百合子 「女の行進」
・・・そのために結婚生活における信じることの出来ない性生活の非人間の錯誤や度はずれな少年少女の放縦がある。「男も女も、性の問題を十分に、徹底的に、真摯に、そして健全に考えるようになることを望むものである」「十分に満足するまで性的に行動することは出・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・若し自分が真個に愛のあるべき状態に迄達しておれば、かような錯誤は決して起り得べきものではないのです。 愛は、何も、貴方を愛しています、または、愛して、愛して、今も愛していますというような告白や表現を望みはせず、云おうともしないものです。・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・赤い皮の水瓜などない筈だが、この頃どの店先でも沢山水瓜を見、自分達で食べもするので夏らしい錯誤を起した。笑って歩いていると、Y、一人ずんずん駒形通りへ曲りそうに歩いて行く。私までおやと思った。「あすこから乗るんじゃあなかったんですか」・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・彼が一応のスタイルをこわして、ヴァレリーの言葉から、日本庶民の理性の暗い、理性によって処理されない事象と会話の中に突入している生真面目さを、ただ日本語の不馴れな作家の時代錯誤とだけ云いすてる人はないだろう。 民主革命の長い広い過程を思え・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・彼女等の権威と他人の権威とは奇妙な価値判断の錯誤に陥ります。過去は尊ばるべきものでございます。その価値は、嘗て刹那の「今」であったと申す点から評価されるので。直接の対象は永劫の「今」の其の瞬刻に置かれるべきでございますまいか。何の為の先覚者・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 日本のきょうの文学、しかも西欧的なものを意欲していると云われる人々の文学にあるこの奇怪な顛倒と時代錯誤への屈従、追随こそ、批評家を無力にし、骨抜きにしている。別の云いかたをすると、戦後の批評家の多くは、その人自身、国内亡命をしていた人・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
出典:青空文庫