ちんぜいしゅご【鎮西守護】
⇒鎮西奉行
ちんぜいたんだい【鎮西探題】
鎌倉幕府の職名。永仁元年(1293)博多に置かれ、九州の御家人を統轄して、沿海防備・裁判・一般政務をつかさどった。鎌倉幕府滅亡とともに消滅。
ちんぜいは【鎮西派】
浄土宗の一流派。1230年代に法然の弟子、聖光房弁長によって始められ、九州で広められた。念仏往生のほか、念仏以外の善行による諸行往生をも認める。江戸時代、知恩院や増上寺を中心に強い勢力をもつに至り、現在の浄土宗の主流をなす。鎮西流。
ちんぜいはちろう【鎮西八郎】
源為朝 (みなもとのためとも) の異称。
ちんぜいふ【鎮西府】
1 天平15年(743)大宰府を改称して設けられた九州統督の役所。天平17年(745)には再び大宰府に復した。将軍・副将軍・判官・主典などの職員が置かれた。 2 大宰府の異称。
ちんぜいぶぎょう【鎮西奉行】
鎌倉幕府の職名。文治元年(1185)源頼朝が天野遠景を派遣して九州地方の御家人を統制させたのに始まる。のち、権限は守護に移り、鎮西探題の設置で実質的機能は失われた。鎮西守護。