・・・ 庭で遊んでいた七つの長女が、お勝手口のバケツで足を洗いながら、無心に私にたずねます。この子は、母よりも父のほうをよけいに慕っていて、毎晩六畳に父と蒲団を並べ、一つ蚊帳に寝ているのです。「お寺へ。」 口から出まかせに、いい加減の・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ かれのあととりの息子は、戦地へ行ってまだ帰って来ない。長女は北津軽のこの町の桶屋に嫁いでいる。焼かれる前は、かれは末娘とふたりで青森に住んでいた。しかし、空襲で家は焼かれ、その二十六になる末娘は大やけどをして、医者の手当も受けたけれど・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・小坂氏は、ふり向いてその写真をちらと見て、「長女の婿でございます。」「おなくなりに?」きっとそうだと思いながらも、そうあらわに質問して、これはいかんと狼狽した。「ええ、でも、」上の姉さんは伏目になって、「決してお気になさらないで下さ・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ と七歳の長女。「まあ、お父さん、いったいどこへ行っていらしたんです」 と赤ん坊を抱いてその母も出て来る。 とっさに、うまい嘘も思い浮ばず、「あちこち、あちこち」 と言い、「皆、めしはすんだのか」 などと、必・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・上品な娘さんがお茶を持って来たので、私は兄の長女かと思って笑いながらお辞儀をした。それは女中さんであった。 背後にスッスッと足音が聞える。私は緊張した。母だ。母は、私からよほど離れて坐った。私は、黙ってお辞儀をした。顔を挙げて見たら、母・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・ただ長女と私とが時々少しずつ刈って行った。そのうちには雨が降ったりして休む日もあるので、いちばん始めに刈った所はもうかなりに新しい芽を延ばして来た。 最後に刈り残された庭の片すみのカンナの葉陰に、一きわ濃く茂った部分を刈っていた長女は、・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・五人の子供が銘々に隠しあって描いたのを長女が纏めて綴った後に発表する事にしていた。「みそさざい」という名前をつけて一週間に一回くらいずつ発行したのが存外持続して最近には第九号が刊行されたようである。表紙画は順番で受け持つ事になっているらしい・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・ 父が亡くなった翌年の夏、郷里の家を畳んで母と長女を連れ、陸路琴平高松を経て岡山で一泊したその晩も暑かった。宿の三階から見下ろす一町くらい先のある家で、夜更けるまで大声で歌い騒ぎ怒鳴り散らすのが聞こえた。雨戸をしめに来た女中がこの騒ぎを・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ 私がこの物語を読んでいた時に、離れた座敷で長女がピアノの練習をやっているのが聞こえていた。そのころ習い始めたメンデルスゾーンの「春の歌」の、左手でひく低音のほうを繰り返し繰り返しさらっていた。八分の一の低音の次に八分の一の休止があって・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・またこの講演が終って場外に出て涼しい風に吹かれでもすれば、ああ好い心持だという意識に心を専領されてしまって講演の方はピッタリ忘れてしまう。私から云えば全くありがたくない話だが事実だからやむをえないのである。私の講演を行住坐臥共に覚えていらっ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫