・・・六十八の長寿を保ちしかばその間種々の経歴もありしなるべけれど、大体の上より観れば文学美術の衰えんとする時代に生まれてその盛んならんとする時代に歿せしなり。俳句は享保に至りて芭蕉門の英俊多くは死し、支考、乙由らが残喘を保ちてますます俗に堕つる・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・この貝原益軒が養生訓をかいて、男の長寿のための秘訣をくどくど説明しているのを見くらべると、私たちは心からおどろかずにはいられない。眠り不足で栄養不良で体のつめたい女に、子を生まなければ去る、というむごたらしさはどうだろう。子のないのを女のせ・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・老いては月雪花を友として遊び楽しんだというような文句が頻りにあった。長寿を完うした人であったし、困窮の裡に死んだ人でもなかったから、神官も他の文句を考えられなかったのだろう。けれども、私は、朗々と其等の文章が読み上げられたとき、明に一種の不・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・八十五歳という長寿を保ったこの漢学者の生涯の時期は、日本では、有名な元禄時代の商人興隆時代、文化の華やかな開花の時代、文学の方面では芭蕉、西鶴、近松門左衛門などがさかんな活動をとげた時代と、流れを一つにしている。経済の中心が町人の階級にうつ・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・ 前述の先輩達が順当に長寿したら、道長とてもあの目覚しい栄達は出来なかったであろう。それを、嗣ぐべき人が相ついで世を去った為道長は、あさましく夢なのどのようにとりあえず、なったのだ。と。 短い小説を書こうとして居るのに、どう・・・ 宮本百合子 「余録(一九二四年より)」
出典:青空文庫