・・・そこで三人は蓆屋根の下にはいりながらも、まだ一本の蛇の目を頼みにして、削りかけたままになっている門柱らしい御影の上に、目白押しに腰を下しました。と、すぐに口を切ったのは新蔵です。「お敏、僕はもうお前に逢えないかと思っていた。」――こう云う内・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・――場所に間違いはなかろう――大温習会、日本橋連中、と門柱に立掛けた、字のほかは真白な立看板を、白い電燈で照らしたのが、清く涼しいけれども、もの寂しい。四月の末だというのに、湿気を含んだ夜風が、さらさらと辻惑いに吹迷って、卯の花を乱すばかり・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・白いコンクリートの門柱に蔦の新芽が這いのぼり、文化的であった。正門のすぐ向いに茅屋根の、居酒屋ふうの店があり、それが約束のミルクホールであった。ここで待って居れ、と言われた。かれは、その飲食店の硝子戸をこじあけるのに苦労した。がたぴしして、・・・ 太宰治 「花燭」
・・・私は、下宿の四畳半で、ひとりで酒を飲み、酔っては下宿を出て、下宿の門柱に寄りかかり、そんな出鱈目な歌を、小声で呟いている事が多かった。二、三の共に離れがたい親友の他には、誰も私を相手にしなかった。私が世の中から、どんなに見られているのか、少・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・かれ少し坐り直して、「リアルとは、君の様に、針ほどのものを、棒、いや、門柱くらいに叫び騒がずして、針は、針、と正確に指さし示す事なり。」「愚かや、君は、かの認識の法を、研究したにちがいない。また、かの、弁証法をも、学びたるなるべし。われ、か・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・ 県庁の入口に立っている煉瓦と石を積んだ門柱四本のうち中央の二本の頭が折れて落ち砕けている。落ちている破片の量から見ると、どうもこの二本は両脇の二本よりだいぶ高かったらしい。門番に聞くと果してそうであった。 新築の市役所の前に青年団・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・自分が門柱にもたれてぼんやり前の小川を眺めていたとき丑尾さんが自分の正面に立ってしばらく自分の顔を見詰めていたようであったが、真に突然に、その可愛い両腕を左右にぱっと拡げたと思うといきなり飛びつくようにして、しっかりと自分を抱擁した、そのと・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・これは丸形の石造で石油タンクの状をなしてあたかも巨人の門柱のごとく左右に屹立している。その中間を連ねている建物の下を潜って向へ抜ける。中塔とはこの事である。少し行くと左手に鐘塔が峙つ。真鉄の盾、黒鉄の甲が野を蔽う秋の陽炎のごとく見えて敵遠く・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・表通りの小さい格子戸の家々の一画はとり払われて、ある大きい実業家の屋敷となっているが、三年前の二月ごろから表札が代って、姓だけを上の方にちょこんと馴れぬ筆蹟で書いたものが、太い石の門柱に出されている。〔一九三九年六月〕・・・ 宮本百合子 「からたち」
門柱の左には麻田駒之助と標札が出ていて、門内右手の粗末な木造洋館がその時分中央公論社の編輯局になっていた。受付で待っていると、びっくりするばかりの赭ら顔に髪の毛をもしゃとし、眼付が足柄山の金時のような感じを与える男の人が、・・・ 宮本百合子 「その頃」
出典:青空文庫